「世界陸上での5000m予選がターニングポイント」驚異のマルチランナー・田中希実にどんな変化があったのか (2ページ目)

  • 寺田辰朗●取材・文 text by Terada Tatsuo

【世界陸上後に日本記録更新&DLファイナル6位】

――2021年の東京五輪後、記録は安定していたものの、世界レベルの走りは続けられませんでした。一方で2023年は世界陸上の13日後に5000mの日本記録を更新し(14分29秒18)、その9日後のダイヤモンドリーグ(DL)・ファイナルでも6位に入るなど、世界レベルの活躍を続けました。

「東京五輪の時は、周りの高い評価によって自分自身が感化された部分がありました。結果を出した直後は"やったあ"くらいにしか思っていませんでしたが、オリンピックが終わってたくさんの言葉をかけていただいて、すごいことをしたんだ、という気持ちになって、ひと息ついてしまいました。ダイヤモンドリーグなどへの出場予定もなく、手放しで喜んでしまった部分があったと思います。それに対して2023年は、結果が出たら評価していただけることも前提に考えて、その評価も次へのステップにしようと思っていました。ダイヤモンドリーグへの出場も決まっていて、気持ちが切れることはありませんでした」

――世界標準のスタイルで強くなっているのが田中選手です。逆に日本人ならでは、という利点を生かしている部分もありますか?

「日本人の美徳として、海外の選手からすれば無駄と思えるようなことでも、泥くさく頑張り続けることがあると思います」

――外国選手に限りませんが、走り始めて調子が良くなかったら途中棄権する選手もいますが、田中選手は途中棄権したことは一度もないのでは?

「昨年の3月にオーストラリアで3000mのペースメーカーをした時だけです、完走しなかったのは」

――日本新記録を出した9月のダイヤモンドリーグ・ブリュッセル大会は世界記録(14分00秒21)が出たレースでした。直前に発熱もあり、お母様(市民ランナーで北海道マラソン優勝経験がある田中千洋さん)は出場をやめてほしいと希実さんに言われたとか。1周遅れにされることを心配されていました。

「1周遅れになることも自分の気持ちのどこかで受け入れて、自分で走りたいと言って出ました。うまく行かなかったら納得できず、クヨクヨするんですけど、そういう気持ちになる時間があってもいいから出る、と決めています。だから、出なければよかった、と思うことはあまりありません」

――お父様でもある田中健智コーチは、完走することで行なってきたトレーニングとの「答え合わせができる」ことが重要だとおっしゃっています。レースに出る限りは、結果が悪くても受け入れる覚悟を持っている?

「はい。ただ、悲壮感が出たらダメだと思っています。ダイヤモンドリーグ・ファイナルもインフルエンザに罹って、普通だったら(精神的にも)ドン底状態なのですが、その時は、ボロボロになっても、それも面白いかもしれない、くらいの気持ちになれていましたね。真面目にやりすぎたなかで悲壮感が出てくると、良くない時期になっている証拠です。結果に関係なく、悲壮感なくやりきったときはスッキリして、やって良かったと思えます。泥くさく頑張り続ける日本人の美徳の部分にプラスして、自分の気持ちが向かっていくことがリンクすれば、すごい力が出て強みに変わるんじゃないかと感じています」

後編〉〉〉スーパーランナー田中希実は「人間の可能性を決めたくない」

【Profile】田中希実(たなか・のぞみ)/1999年9月4日、兵庫県生まれ。小野南中→西脇工高(兵庫)→ND28AC→豊田自動織機TC→New Balance。同志社大卒。中学時代から全国大会で活躍し、高校卒業後はクラブチームを拠点に活動。2019年からは父・健智さんのコーチングを受け、今日に至る。国際大会には高校時代から出場を果たし、U20世界陸上3000mで2016年大会8位、2018年優勝。世界陸上は5000mで2019年ドーハ大会から3大会連続出場、2022年オレゴン大会では日本人女子初の800m、1500m、5000mの3種目に出場、2023年ブダペスト大会では5000m8位入賞を果たした。東京五輪には1500m、5000mの2種目で代表となり、日本人女子として五輪初出場となった1500mでは予選、準決勝で日本新をマーク、決勝で8位入賞を果たした。自己ベストは1500m3分59秒19(2021年)、3000m8分40秒84、5000m14分29秒18(2023年)はすべて日本記録。

プロフィール

  • 寺田辰朗

    寺田辰朗 (てらだ・たつお)

    陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に124カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。

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