箱根駅伝3区で駒澤大・佐藤圭汰にあった不安要素 青学大・太田蒼生が見せたそれにつけ入る走り (4ページ目)
【序盤3区間に潜んでいた差とは?】
「青学大には2区で詰められ3区で抜かれ......、そこですね。青学大のように1区をしのいで2区、3区で、というのではなく、うちは三本柱(篠原、鈴木、佐藤圭汰)をその3区間で使いながらアドバンテージを取れなかった。チーム内の動揺はどうしても出ました」と藤田監督は振り返る。
もっとも駒大の往路記録は、優勝した前回大会を2分19秒上回る5時間20分51秒の大会記録でミスがあったわけではない。青学大は駒大の想定を大きく上回る、驚異的な走りをしたということだ。
「たら・れば」は禁物であることは承知の上で言えば、1区・篠原なら区間記録(1時間00分40秒)更新、2区・鈴木なら駒大記録ではなく日本人最高(1時間05分57秒)、3区・佐藤圭汰なら留学生に果敢に挑んだ高校時代のようにイェゴン・ヴィンセント(東京国際大、現・Honda)の区間記録(59分25秒)を更新しようという気概が表に出ていたら、チームの勢いも盛り上がったのではないか。それに挑めるだけの実力を備えている3選手ゆえ、なおさらそう思わざるを得ない。
とはいえ、出雲と全日本を完勝して「駒澤一強」と注目される中、史上初の2年連続3冠獲得を必要以上に意識してしまった部分もあるだろう。
「体調不良もなかったので、私も若干、慢心ではないけど油断があったのではないかと思いますし、箱根駅伝に対する練習の組み立て方も工夫しなければいけなかったかもしれません」
藤田監督が振り返るように、選手たちの意識が「勝ちたい」ではなく「勝たなければいけない」となってしまい、どこかに守りの気持が芽生えていたのかもしれない。
それに対して青学大は、各選手が「箱根では120%の力を発揮しよう」という思いを持って走っていた。8区区間賞の塩出翔太(2年)は「監督からは『タイム差もあるから遊行寺までは余力を残しで淡々と行こう』と言われたけど、青学らしいのは積極的な走りだと思うので、最初から区間記録を視野に入れて走り出した」と思い返す。
青学大の優勝は、12月に体調不良が多くあった中でのメンタル面も含めた調整力の高さがあってのもの。そして、わずかな気持ちの差が大きなタイム差につながる、箱根駅伝の怖さを示すものでもあった。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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