箱根駅伝5区の価値を決定づけた3人の「山の神」たち 粘りの走りで総合優勝につなげた会津出身ランナーの記憶も忘れ難い

  • 和田悟志⚫︎取材・文 text by Wada Satoshi

2011年大会5区の早大・猪俣(左)と東洋大・柏原 photo by AFLO2011年大会5区の早大・猪俣(左)と東洋大・柏原 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る

【3人の"山の神"と1970年代の元祖】

 箱根駅伝の5区と6区は、それぞれ"山上り""山下り"という通称が浸透しているほど、ほかの区間と比べて圧倒的に特殊なコースだ。それゆえに、4年連続で同区間を担うスペシャリストも多い。時代背景は異なるかもしれないが、第二次世界大戦前から戦後すぐにかけては、1936年ベルリン五輪代表の鈴木房重(日本大)、1952年ヘルシンキ五輪マラソン代表の西田勝雄(中央大)のように、6回も山を上った選手もいた。

 5区で3人の"山の神"が現れたのは2006年(第82回)〜2016年(第92回)のこと。この11年間は23.4kmと5区が10区間中最も距離が長かった。5区で得たアドバンテージはあまりにも大きく、事実この間の11回中7回が、5区で区間賞を獲得した大学が優勝している。

 2007年では、順天堂大の今井正人が先頭と4分9秒差を逆転。今井は、5区の距離が短かった2005年大会でも11人のごぼう抜きを見せるなど、3年連続で圧倒的な走りを見せたことから"山の神"の異名をとった。

 2009年から4年連続で山を上った東洋大・柏原竜二はどんな位置でタスキを受けても、必ずトップで芦ノ湖のフィニッシュにたどり着いた。4回すべてで区間賞&チームの往路優勝、うち3回は区間新記録樹立にチームの総合優勝と、これこそ"山の神"の為せる業だった。

 青山学院大が初優勝を飾った2015年は、神野大地が不滅と思われていた"先代"の柏原の記録を上回ってみせ(コースが少しだけ変わったが、走距離はほぼ同じ)、区間2位には2分30秒もの大差をつけた。

 いずれも圧倒的なパフォーマンスは、それぞれの母校の総合優勝の力となった。

 この3人による存在感の継承は、5区が花の2区と呼ばれるエース区間と対等、時にはそれ以上の重要区間としての認識を定着させたといえる。特殊区間ではあるものの、今井、神野は5区を走る以前には2区を走っており、柏原はトラック1万mでも強さを発揮していたように、「エース級の走力+上りの適性」が「山の神」の資質として浮かび上がった実例でもあった。

 ちなみに今井が5区に登場する約30年前、1974年から77年までの4年間で2回の総合優勝を果たした大東文化大には、4年連続5区区間賞(うち区間新記録2回)を獲得した大久保初男という"元祖・山の神"もいた。当時はまだ、戦略的な意味で5区を捉える傾向が生まれていない時期だったが、柏原並の成績は後年、高い評価を受けている。

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