箱根駅伝中継車のキツイ仕事内容 大人用オムツやのど飴を準備 乗車する渡辺康幸は「おかげさまで一度もピンチになったことはない」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun

 スタート時は、集団走で各選手の情報や目の前の展開や予測を頭の中でフル回転させて話をしているので覚醒し、一種の興奮状態になっている。だが、復路の後半は単独走が増え、大差がつくと話の内容も限定されてくる。そうなると、べつの困難が待ち受けているという。
 
「復路は、スタート時はいいんですよ。寒いのでピリッとしていますし、山は展開が変わることが多いので、見ていても楽しいんです。その先も混戦ならいいのですが、単独になり、大差がついてくると勝負がほぼ見えてしまいます。さらに8区ぐらいから気温が上がり、ぽかぽかしてくると、めちゃくちゃ眠くなるんですよ(苦笑)。何度か『危ない』と思ったことはありますし、そういう時はガムをかんだりして、必死に眠気を覚ますようにしています」

 次回は、第100回の記念大会になるが、23校が駆ける箱根駅伝は「楽しみしかない」と渡辺監督は語るが、解説したなかで非常に興奮したレースがふたつあるという。

「ひとつは、96回大会。東京国際大のヴィンセント選手が3区で区間新をマークした時です。もうめちゃくちゃ速くて、本当に1年生?って感じで衝撃的でした。もうひとつは、99回大会の2区ですね。吉居(大和・中央大)君、田澤(廉・駒澤大)君、近藤(幸太郎・青学大)君の3人の激しいつば競り合いは、非常にレベルが高く、展開的にも面白かった。解説していたのですが、興奮しちゃって冷静に話ができなかったです(笑)」

 100回大会の箱根でも、こうした思わず腰が浮いてしまうようなシーンが生まれるかもしれない。渡辺監督は、そういうレースを楽しみながら丁寧な解説を届けていきたいという。

「箱根駅伝を中継するのは本当に楽しいです。好きなことをやっているので、長時間の解説も苦になりません。それに瀬古さんと僕が中継車に乗る前は、中央大学OBの碓井(哲雄)さんが解説をされていたのですが、2年前に亡くなられました。その碓井さんの意志を受け継いで中継車での解説をしていくという気持ちがあるので、これからも続けていきたいですし、僕の次の世代にも受け継がれていくといいですね。箱根駅伝は永遠に不滅だと思っていますから」

 2日間の大きな仕事を終えて、大手町に帰ってくると、ホッとするという。そこで、水分を口に含むと、体に染みわたるのを感じる。

「2日連続で、カラッカラの状態なんで(苦笑)」

 第100回大会も、中継車から声を出し続ける。

渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)/1973年6月8日生まれ、千葉県出身。市立船橋高-早稲田大-エスビー食品。大学時代は箱根駅伝をはじめ学生三大駅伝、トラックのトップレベルのランナーとして活躍。大学4年時の1995年イェーテボリ世界選手権1万m出場、福岡ユニバーシアードでは1万mで優勝を果たし、実業団1年目の96年にはアトランタ五輪1万m代表に選ばれた。現役引退後、2004年に早大駅伝監督に就任すると、大迫傑が入学した10年度には史上3校目となる大学駅伝三冠を達成。15年4月からは住友電工陸上競技部監督を務める。学生駅伝のテレビ解説、箱根駅伝の中継車解説でもお馴染みで、幅広い人脈を生かした情報力、わかりやすく的確な表現力に定評がある。

プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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