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田澤廉との合宿で「何ひとつ勝てなかった」と刺激 学生ハーフ優勝の駒澤大・篠原倖太朗「エースには自分がならないと」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

学生ハーフで優勝した篠原倖太朗(駒澤大)学生ハーフで優勝した篠原倖太朗(駒澤大)この記事に関連する写真を見る

 3月12日に行なわれた学生ハーフ。後続を離して優勝した篠原倖太朗(駒澤大・2年)が、大八木弘明監督のところにレースの報告に来た。

「今日はよかったな。これからは田澤(廉・駒澤大4年)に少しでも近づけるようにしましょう」

 大八木監督は、笑顔で篠原にそう伝えた。

 見ている先が他の学生とは異なり、最強の先輩・田澤を越えること。そんな気迫が感じられる篠原の力強い走りだった。

 学生ハーフは、年度末のレースであり、箱根駅伝以降のロードシーズンでの強化を披露する場でもある。タイムも大事だが、多くの学生とガチンコのレースを経験できる場であり、それゆえこのレースに勝つことは大きな意味を持つ。今回は勝負にきた学生以外に、箱根駅伝100回大会の出場権を獲得すべく、予選会が行なわれる会場の下見を兼ねて関東以外の大学からも多くの出走者がいた。

 気温19度という暑さのせいか、ややスローペースで入ったレースだったが、動きが出たのは15キロ過ぎだった。

「マークしていたのは、吉田(礼志・中央学院大・2年)選手と平林(清澄・國學院大2年)選手です。自分もマークされていたんで、自分の周りだけスペースが空くんですよ。ちょっとやりづらい面もあったんですが、無理せずに前に出ないで行こうと思っていました。15キロを越えたところで給水ポイントがあったんですけど、みんな、給水を取りに行ってロスが生じたので、そこで行っちゃおうって思って前に出ました」

 冷静に状況を判断し、勝負どころを読んで一気に前に出ると、後続とは差が開く一方だった。ひとり旅になり、沿道からの大きな声援を受けて、そのままゴールした。タイムは、62分16秒だったが、「勝負レース」と位置づけた篠原にとって、勝つことが今回の最大のテーマであり、それを達成したことで、レース後は笑みがこぼれた。

「もう順位しか狙っていなかったので、勝ててホッとしました」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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