箱根駅伝2区を3回走るも「自信になったかというとイマイチ」 東京マラソンで日本人トップの山下一貴は「もっと欲を持て」と言われ続けてきた (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kishimoto Tsutomu/PICSPORT

【山下一貴の走りの魅力】

 そんな山下の初マラソンは2021年2月のびわ湖毎日マラソンだった。そこでは、日本記録を狙った鈴木健吾(富士通)などが5kmを14分50秒前後のペースで30kmまで行くなか、山下は15分ペースの第2集団で走っていた。30kmを過ぎてから3位になった細谷恭平(黒崎播磨)が抜け出すのには対応できなかったが、それでも2時間08分10秒で18位と合格点の結果を出した。

 そして2回目の昨年2月の大阪マラソンでは、31kmから前に出て引っ張る積極的な走りを見せて2時間07分42秒で2位になっていた。

 今回の好結果の要因を、ここ数年新型コロナ感染拡大の影響から、チームとして行けていなかったニュージーランド合宿ができたことだという。今年1月の約1カ月間、起伏のあるタフなコースでしっかり足作りができた。そして、これまでよりスピードを上げた練習が出来たことで、過去2レースの1km3分ペースから、2分57秒ペースへ上げる挑戦もできたと振り返った。

 指導する三菱重工の黒木純監督はこう話す。

「山下は井上や、1週間前の大阪マラソンを走った定方俊樹(三菱重工・2時間07分24秒で10位)とずっと一緒に練習をしていたが、三者三様にみんないい練習ができていました。そのなかでも、山下の場合はどんなレースも冷静に進めるタイプなので、井上より面白いかなと感じていました。3分を切ったペースは初めてでも、たぶん行けるなと思っていたし、本当にグッと我慢して勝負どころで仕掛ける試合度胸というか、物怖じしないところが彼にはあるので。2回目のマラソンでも30kmを過ぎてから仕掛けていましたが、そういうところを見れば、どこまで行けるかはわからなかったけど、日本人トップ争いはするだろうなと思っていました」

 所属する三菱重工の拠点である長崎市出身の山下は、駒澤大時代にエースとして注目されるまでの存在ではなかったが2年生から4年生まで2区を3回走り、区間13位、9位、13位という結果を残している。本人は「けっこう悩んだ大学4年間でしたが、大八木弘明監督から『ゆくゆくはマラソンで戦っていくように』と言われて、夏合宿や普段の練習でも距離を踏んでいました。ただ、箱根の2区も3回走ったけどいいタイムではないので、自信になっているかというとイマイチですね」と苦笑する。

 それでも黒木監督は、「レースの中間でも力みのないフォームで淡々と走るところが魅力的だったので、そういうところを伸ばせば今のような感じになるかなと思っていた」とスカウトの理由を話す。さらに「大きな目標を『こうする』とか言わないですが、本当に練習に関してはコツコツやるタイプです」と評価する。

 本人もスピードのないことを自覚しているからこそ積み重ねることを重視し、マラソンでも「ラストで勝てる選手ではないから、途中で仕掛けて勝負していくしかない」と考えている。

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