「35キロ過ぎから7キロの世界は別次元」。マラソン其田健也はトップ選手との差を経験し、パリ五輪を狙う (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 其田は、どのくらいの地点が勝負どころだと考えているのだろうか。

「たぶん、35キロからが勝負になってくると思うので、そこでペースアップできるかが勝つための絶対的な条件になると思います。9月のベルリンマラソンも35キロ地点までは集団についていけたんですが、そこから7キロの世界は別次元だなというのを感じました。日本人もそのレベルにいかないとMGCもそうですが、世界に出た時に戦えないと思います」

 MGCの先には、パリ五輪が見えてくる。憧れの舞台だが、其田は、2021年の夏に開催された東京五輪のマラソンは、自分が走っている姿を重ねて見ていた。

「キプチョゲ選手が30キロぐらいでスパートしたんですけど、やっぱり後半にペースアップしないと勝てない。やっぱり、そこなんですよね。30キロ、特に35キロ以降にどれだけ余裕を持ってペースを上げられるのか。それをやれば勝てるとわかっているので、そこをどれだけMGCまでの間、そしてパリ五輪までにやれるかにかかってきます。あと、やっぱり大迫(傑・ナイキ)さんですね。最後のレースと言われたのもあってすごい気迫を感じました。人の心を動かせる人ってなかなかいないと思うんですけど、あの時の大迫さんを見ていると、ああいう人になりたいなって思う自分がいました」

 大迫が多くの人を感動させた舞台に、其田は立ちたいと強く思っている。パリ五輪は、其田にとって、どういう舞台になるのだろうか。

「東京五輪は狙っていなくて、入社した時からパリ五輪を目指してやってきました。年齢的にはその次も行けそうですけど、目の前の大会を狙っていきたい。会社のバックアップも期待もプレッシャーも大きいですが、集大成の場にしたいと思っています」

 MGCは、駒澤大の先輩、後輩、ほかの強い選手が入り乱れてのレースになる。大学時代は、「谷間の世代」と言われたが、最終的に切符を掴むのは、1発屋ではなく、其田のようにコツコツ走る「外さない男」なのかもしれない。

【筆者プロフィール】佐藤 俊(さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など多数。

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