神野大地、再起動。マラソン日本記録を目指して下した3つの決断 (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

「昨年、健吾は1万mで27分台を出して、マラソンの結果につなげたじゃないですか。(びわ湖マラソンで)3位に入った細谷恭平選手も28分台前半で走っているんです。僕はこれまでマラソンの結果だけに執着していましたけど、トラックの結果にもこだわっていかないといけない。もともとスピードがないので、27分台か28分台前半を出せばマラソンの結果も変わってくるのかなって思っています」

 神野の5000mの持ちタイムは13分56秒05、1万mは28分17秒54である。今年7月に開催予定のホクレンディスタンスで1万mを28分台前半、5000mは13分45秒切りを目指していく。それを実現することで「28分前半がマラソンでの3分ペースに生きてくる。スピードの余裕度、走速度を上げていく」(藤原)ことを考えているという。

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 そして3つ目は、この4月から練習の拠点を東京から浜松に移したことだ。

 昨年から神野は藤原コーチに師事している。藤原はスズキアスリートクラブの指導をしており、練習拠点は浜松だ。そこで、ランナーとしてのメリットを考えて決断した。

「コロナでいろんなことが変わりましたよね。ミーティングも取材もオンラインでできますし、中野さんのトレーニングもリモートでできる。藤原さんに見てもらうなら、浜松にいたほうがいい。プロとしてひとりでやる苦しさを感じていたので、スズキのメンバーに頼るところはそうさせてもらって、僕は結果を出すことで刺激を与えたり、姿勢を見せていければと思います。なにより東京は家賃が高い(笑)」

 神野は覚悟を決めた表情でそう言った。藤原もその決断を重く受け止めている。

「まだコーチとしての経験が浅く、今も悩んでいます。でも、神野が覚悟を決めて浜松に来てくれた。僕もコーチとして覚悟を決めてやっていきたいと思っています」

 新天地で新たなスタートを切った神野だが、やめたくなるほど追いつめられたマラソンに、なぜもう一度挑戦することを決めたのだろうか。

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