箱根連覇へ東海大の最後のピース
となるか。館澤亨次が大ケガから復帰

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

東海大・駅伝戦記 第71回

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 上尾シティマラソンのレース後、待機所で館澤亨次(4年)が笑顔で着替えをしていた。

「いやー、今日は楽しく走れました。先週、世田谷ハーフを走ったんで、あまり無理しないようにと思ったんですけど、すごく楽で、これはいいな、いけるなって感じでした」

ようやく走れる状態になり笑顔を見せる東海大主将の館澤亨次ようやく走れる状態になり笑顔を見せる東海大主将の館澤亨次 館澤は、ちょうど1週間前、復帰戦として世田谷ハーフを走っていた。2週連続でのレースだったので上尾は無理せず、故障上がりの關颯人(4年)とともに1キロ3分40秒のペース走の予定だったという。

「でも、調子がよくて、3分30秒で押してしまって......。なんか關には悪いことしたなぁって思います」

 そう語る表情は明るい。隣にいた廣瀬泰輔コーチも「コイツが戻ってきてくれてほんとよかった」と、笑顔でキャプテンを見つめている。チームにとって、館澤の存在はやはり欠かせないのだ。

「体重が落ちてきて、だいぶ体が絞れてきた。ようやく陸上選手に戻ってきた感じです」

 筋肉厚だった体は少し細くなって引き締まり、それはたしかに陸上選手のフォームだった。黄金世代の主力であり、キャプテンが本格的にロードに戻ってきた。

 キャプテンの姿が見えない----。

 それは8月の夏の全体合宿の時だった。館澤が不在で副キャプテンの西川雄一朗(4年)がチームをまとめていた。その時、館澤が故障でJISSにいると聞いた。JISSとは国立スポーツ科学センターのことで、そのなかにあるメディカルセンターで日本のトップアスリートが治療やリハビリを受けることができるようになっている。検査の結果、館澤は恥骨結合炎を発症し、さらにハムストリングスに深刻なダメージを受けており、JISSで治療に専念することになった。

「MRIの画像を見ると、ハムの筋にまっすぐな縦のラインが入っていて、肉離れよりもひどく、ハムの筋が縦に裂けていたんです。選手生命が危ういほどの大ケガでした。自分は痛みとかケガに強かったんで、なかなか気づかなかったんです」

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