箱根連覇を目指す東海大に衝撃!あの優勝メンバーにいったい何が...? (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by MATSUO.K/AFLO SPORT,Sato Shun

「陸上を始めて10年目になるんですけど、毎年、自己ベストを更新し続けていて、あまり苦労してきませんでした。短期的な故障はあったけど、足が痛くても走ると治っていたので、そこで苦しんだこともない。でも、今回のように何もないのにうまく走ることができなかったり、結果も出なかったりというのはなかったんです。正直、かなり焦っていますが、監督やコーチが待っていてくれてい......今は自分のペースで競技をやらせてもらっているので、夏以降に走れるようにしたいですね」

 ゴールデンウィーク中、ロード組は合宿をしていたが、中島はオフをもらっていた。リフレッシュし、それから練習を再開。その最初のレースが、仙台国際ハーフだった。

 練習不足もあり、結果は出なかったが、おそらく想像以上に走れなかった自分に驚き、焦りを感じたのだろう。だが、この時は次に向けて前向きだった。6月の日本学生陸上競技個人選手権大会の5000mに出場することを決めていたからだ。

「1年ぶりに5000mを走るんですけど、昨年は13分台2度も出しているので......。今年は1月の箱根駅伝以降、ハーフを6本走りましたが、きつくて思うようにいかなくて......5000mは気持ちよく走れているので、そういうところから気持ちを切り替えて、モチベーションを上げていけたらと思います」

 しかし、個人選手権の5000mは151272と設定よりもかなり遅いタイムに終わった。続く平成国際大記録会の1万mでは3127377月の東海大記録会の5000mでは150968と、調子は一向に上がってこなかった。

 そして、そこから中島の姿が消えた。アメリカ合宿にも参加せず、寮からも一時離れていたという。

 そんな中島が、上尾ハーフで約4カ月ぶりに走る姿を見せた。昨年は6228秒の自己ベストを更新したが、今年は6921秒だった。

「練習を再開したのが最近で、当初、上尾は出る予定がなかったんですけど、エントリーしていたので、練習でもいいからまずはレースに出ようと。なので、出て、走れたことはよかったです」

 中島は淡々とそう語った。

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