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東大生ランナーが最後の箱根に懸ける思い。
「学連をひとつのチームに」 (2ページ目)

  • 高橋憲治●文 text by Takahashi Kenji
  • photo by Matsuo/AFLOSPORT

 近藤は静岡県函南(かんなみ)市で生まれ育った。箱根と向かい合わせのような街で育った少年にとって、箱根駅伝は近くて遠い夢だったかもしれない。その夢が現実的な目標になってきたのは、韮山高校の2年の時だ。

 近藤は5000mのタイムが格段に進歩し、1427秒を記録した。さらに3年の県高校駅伝では1区で下田裕太(現GMOアスリーツ)を退けて区間賞も獲得した。選手として注目されるにつれて、箱根駅伝が目指すべき目標として視界に入ってきた。

 箱根駅伝の常連校から誘いもあったという近藤だが「陸上も勉強も極めたい」と東京大学へ進学。東大から箱根駅伝を目指すことにした。

 1年の時、箱根駅伝予選会で結果を残した近藤は学生連合の補欠に選出された。そして2年の予選会では対象選手10位の成績を修めて正選手の圏内に入った。近藤自身も期待をしたが新たに選考基準となった10000mの記録会で結果を残せず、再び補欠にまわった。

 当時は学生連合に選出される選手は登録2回までという規定があり、補欠2回で近藤の箱根駅伝は2年で終えたはずだった。

「当時は、陸上といえば箱根駅伝でした。その箱根駅伝に出られる可能性がほぼなくなったなかで、次は何を目指すべきかと悩みました。そのようななかで目の前にあがってきたのがマラソンでした」

 近藤は急仕上げながら東京マラソンを2時間1413秒で走った。手応えを感じた近藤はマラソンで限界まで突き進みたいと考えるようになった。

 一方、学生連合選出選手に関する規定の改正があり、近藤は引き続き箱根駅伝を目指せるようになった。しかし今までのような「箱根にかける」という思いはなかったという。

「僕にとって箱根駅伝はもう『それがすべて』ではなくなっていました。そのようななかでの箱根への原動力は挑戦すべき目標というよりもむしろ、僕を応援してきてくれた家族や仲間への感謝です。大きな舞台で走る姿を見てもらいたい」

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