「目立たなかった短距離メダリスト」高平慎士がクールに振り返る競技人生 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 写真●ロイター/アフロphoto by Reuters/AFLO

photo by Murakami Shogophoto by Murakami Shogo――朝原(宣治)選手が引退し、末續選手が競技から一旦離れた中で、北京五輪で銅メダルを獲得した"チームの心"を次世代の選手に伝えるという役割を担うことになったと思いますが。

「そういったものをつないでいくことは、絶対に必要だと思っていました。私たちのときには、朝原さんをはじめとした先輩方から教えていただいたり肌で感じたりしていたので、それを継承していければ、日本はメダルを獲り続けられるチームになると。2004年のアテネ五輪の段階では、『メダルを獲れるのかな?』という疑問が私の中にあって、結果が4位だったので、それが引退レースになった土江寛裕さんにはすごく申し訳ないと思っています。でも、今は『メダルを獲れるのかな?』と疑問に思う選手がひとりもいない(獲って当然と思っている)ので、それは素晴らしいことですね」

――4×100mで主に3走を担っていて、冷静でいなければいけないポジションだったことも、"つなぎ役"を果たすことにプラスに働きましたか?

「冷静なのはもともとの性格なのかもしれませんが、『キャリアを通して自分がどういう選手になって卒業できるか』を次の世代に見せることは重要だと考えていました。私自身も、為末大さんや、室伏広治さんの『いい結果を残してから何を目指すか』を定めていく姿を見て、自分をコントロールすることの大切さを学びましたから。世界で戦うためには、結果に一喜一憂せずに平均タイムを上げていかなければならないと思うようになり、競技人生を通じてやらなければいけないことだと考えるようになりました」

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