競技歴4年で五輪日本代表になった男、
ウォルシュ・ジュリアンは何者か (4ページ目)
翌日、日本選手権決勝のトラックに立つと、いつものワクワクだけではないものをジュリアンは感じていた。
「これが最後だという緊張感。コンディションも極限まできてピーク。記録を出せなきゃしょうがないというくらい、体も心も仕上がって自信に満ちていました」
号砲とともにジュリアンはトップスピードでカーブを抜け、バックストレートに入る。ここでいかに力を使わずにスピードを維持して200mのコーナーへ入るかがカギだ。イメージ通りに第3コーナーへ入ったジュリアンは自身の反応のよさに手応えを感じながら、加速してホームストレートへ向かう。あとはいかにスピードを落とさないかが勝負だ。
「もうひたすら我慢するだけ。走っている間からハムストリングスや大臀筋が痛くなってきましたが、やってきたことを信じて筋肉を動かし続けました」
無酸素運動の限界が近づくと、脳が体の動きを停止させようとする。それに抗(あらが)い、ハムストリングスと大臀筋を動かし続ける。これ以上動かしたら千切れると思うほど両脚の痛みが限界に近づいたときがゴールだった。すぐに時計を見た。45秒35――、今まで見たことのない数字だった。
「できる最高のパフォーマンスを出せて結果も出た。あのときは喜びがあふれて足の痛みも疲れも全然気にならなかった。一緒に走った選手たちが『おめでとう』と言ってくれたのはよく覚えています」
ジュリアンは陸上を始めてわずか4年でオリンピックのトラックまでたどり着いた。
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