【陸上】山崎一彦が語る「『若手の発掘』を否定する育成論」 (3ページ目)
「例えばやり投げでは、肩は消耗品なので、どこかで休ませなければいけなかったりするんです。もちろん、走ることもそうですね。だから選手が、『1年間、休みたい』と言えば、『でもお前、世界選手権があるだろう』ということを言わせないようにしたいですね。たとえ、選手より立場の上の人が言っても、それを止めるのが僕らの役割だと思います。出場させなかったことでチーム全体の成績が落ちるかもしれないし、メダルが1個減るかもしれないけど、それでも休むことを優先させてあげたい。
僕たちの世代も、それで失敗しているんです。疲労が溜まっている状態でも、『出なくてはいけない』と言われて出場してケガをしたり……。それで五輪にピークを合わせられなくなって、もったいなかったという後悔が僕自身もありましたから。批判されることかもしれませんが、理解者を増やしていきたいというのが、今の僕の考えですね」
また、選手の育成といえば、資質を持った若手に目を奪われがちだが、「競技寿命が延びている近年は、違う考え方も必要」だと山崎氏は語る。現在は日本陸連の有志とともに、過去に活躍したベテラン選手がどの年齢までトップパフォーマンスを発揮できたかということを明確に示せるように、データを調べ始めているところだという。
「流行の『若手タレントの発掘』というものを、僕たちはある意味、否定しているんです。特に陸上競技の種目というのは、18歳以上にならないと決まらないのではないかと。だから今、考えているのは、100mをやって、その後200m、400mをやって、最後に400mハードルの選手になった為末大のように、種目を変えていくことも視野に入れるべきではないかと思っています。また、そうやっていかないと世界で生き残れないですし、そのほうが長く選手生活を続けられるかもしれませんから」
6年後に迫った東京五輪というチャンスをキッカケに、どこまで育成の現場を変えていくことができるのか。日本陸上界を世界レベルに引き上げるべく、山崎一彦氏の挑戦は続く――。
【profile】
山崎一彦(やまざき・かずひこ)
1971年5月10日生まれ、埼玉県出身。1995年の世界選手権400mハードル予選で48秒37のアジア記録(当時)を樹立し、日本人として初めて同種目のファイナリストとなる。2001年に現役を引退。その後は日本代表コーチなどを歴任し、現在は順天堂大学准教授、日本陸上競技連盟の強化委員会副委員長として若手の育成に力を注いでいる。
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