【陸上】山崎一彦が語る「『若手の発掘』を否定する育成論」

  • 折山淑美●文 text & photo by Oriyama Toshimi

10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(9)

 1990年代初頭から、苅部俊二(法政大→富士通)や斎藤嘉彦(法政大→東和銀行など)とともに400mハードルで世界に挑み、1995年の世界選手権では日本人初のファイナリストとなった山崎一彦氏(順天堂大→デサント)。1992年バルセロナから2000年シドニーまで3大会連続でオリンピックに出場し、現役引退後は日本陸上競技連盟(日本陸連)の強化委員として、幾多のトップ選手の指導に関わってきた。若手の統括強化育成部長として活動する山崎氏に、日本陸上界の現状について語ってもらった。

世界に通じる若手を育てようと奮闘している山崎一彦世界に通じる若手を育てようと奮闘している山崎一彦「私が日本陸連・強化委員会のハードル部長をやっていたころ、シニアの選手たちを見ていたのですが、そのとき、『もう、自分が教育するものはないな』と感じたんです。彼らがジュニアや大学生の時に、国際大会への位置づけや動機づけ、姿勢などを変えなければいけないなと。シニアになってから変えようと思っても、無理だなと実感したんです」

 当時は、2010年の世界ジュニアがカナダで行なわれたころ。200mで優勝した飯塚翔太、やり投げ銀メダルのディーン元気、400mハードル銀メダルの安部孝駿、走り高跳び銅メダルの戸邉直人などが、大学2年生になったばかりの時期だった。ただ、若手を幅広く強化するにも予算に限りがあるため、彼らをターゲットとする「U21(21歳以下)枠」を作り、海外遠征や合宿に行くための支援をしようと思って、山崎氏は立ち上がったという。

「世界ジュニアでメダルを獲ったとはいえ、すぐにシニアの日本代表にはなれません。しかし、若手が日本代表へと成長する間に、選手がインカレなどを中心とする国内志向になってしまうのが、これまでの状況だった。だから、何年も時間がかかってしまうかもしれないけど、国際的な視野に立った考え方を持ってもらいたいと思って、『U21枠』での育成を始めたんです。

 それに、もうひとつ問題だと思っていたのは、『日本の大学には、ハイパフォーマンスコーチと呼べる存在がいない』ということでしたね。高校までは順調に育成できているけど、大学では研究者という肩書きの人たちがコーチをやっていて、コーチング技能に優れている人が評価されていないのが問題だったんです。だから、まずは先物買いで、強化選手になっていない若手に投資して、意識を変えてもらおうと思いました」

 海外で試合や合宿を経験させた結果、2年後にはやり投げのディーンがロンドン五輪、短距離走の飯塚はロンドン五輪と翌年の世界選手権に出場。ハードル走の安部も2年連続(2011年、2013年)で世界選手権に出場するという成果を残せた。また、今年に入っても、走り高跳びの戸邉が日本記録に迫る2m30台を連発するようになり、ディーンと一緒に南アフリカでフィンランドチームの合宿に参加させた新井涼平もアジア大会で2位となり、国体では日本歴代2位の86m83まで自己記録を伸ばしている。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る