【今日は何の日?】第1回箱根駅伝が開催
第24回大会のレース風景。砂利道の芦ノ湖畔を走る選手たち【1920年2月14日】
アメリカ大陸横断駅伝の選考レースとして誕生
箱根駅伝は、ストックホルム五輪(1912年)に出場したマラソンランナー、金栗四三(かなぐり・しそう)の壮大な夢から誕生した。金栗は「世界と対等に戦うには駅伝競走を磨くべき」と唱え、若手の強化を図るべく、サンフランシスコからロッキー山脈を越えてニューヨークまで走破する『アメリカ大陸横断駅伝』を提案。資金調達や、大学陸上関係者の理解を得るために奔走した。
その壮大なレースを走るメンバーの選考として、コースに選ばれたのが東京~箱根間だった。そして金栗の想いに、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京高等師範学校(現・筑波大学)の4校が賛同。『四大校駅伝競走』という呼び名で第1回箱根駅伝は開催された。
午前中は授業を行なうため、午後1時にスタートした第1回大会は、東京高等師範学校が優勝。その後、アメリカ大陸横断駅伝は実現しなかったものの、箱根駅伝は定着し、国民的スポーツ大会となった。現在の1月2、3日開催となったのは、第32回大会(1956年)から。88回目の今年は、東洋大学が2年ぶり3度目の総合優勝を果たし、最優秀選手に贈る『金栗四三杯』は柏原竜二(東洋大)が受賞した。