「病と闘う子どもたちのヒーローになる」。車いすテニス・16歳小田凱人の「世界1位」になるための旅は始まったばかり (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

16歳ながら高いプロ意識

 テニスを志した小田の地元に「岐阜インターナショナルテニスクラブ」があったことも、幸運だった。

 現在創設10年の若いこのテニスクラブには、ハードコートと、ジュニア育成コースがある。車いす専用のレッスンがあるわけではないが、小田はその恵まれた施設でジュニア選手たちと一緒に練習する機会を得た。

 天性の運動神経に加え、類まれなる向上心と観察眼が小田を急成長させたのだろう。左利きであることも、勝負のなかでは有利に働いた。

 小田を中学2年の時から指導し、現在はパーソナルコーチも務める熊田浩也コーチは言う。

「もともと運動神経がいいうえに、自分で考える力があります。ほかの子のプレーを見て、どうやったら自分もうまくなれるか工夫しながら練習するので、上達も早いんだと思います」

 そのような"見て考えて実践する"力もまた、環境のなかで培われた能力でもあるだろう。ジュニアたちと時間を共有することで、競技者を目指す同世代の少年たちがどれほど真剣にテニスに打ち込むかを知り、試合前のアップや試合後のクールダウンをする姿も見てきた。

 熊田コーチが就いてからは一層、練習時間を増やしたという。コロナ禍で試合の機会は減ったが、おかげで技の習得や研鑽にじっくり時間をかけることができた。

 そうして試合に出始めた時、次々に勝てるようになったことに、小田やコーチも多少の驚きを覚えたという。自信はさらなる自信と高い目標を生み、14歳にしてジュニア部門の世界ランキング1位にも上り詰めた。そして、15歳でプロ転向。次に視野にとらえるのは、2年後のパリ・パラリンピックでのメダル獲得、そして20歳前に世界1位に座すことだ。

 急成長の疾走感のまま乗り込んだ全仏オープンで、小田は地元選手相手に6−1、6−3のスコアでデビュー戦を白星で飾る。ただ、試合後の本人の表情に、納得の色はまるでない。

「単純に言えば緊張したというか、力が入ってしまった」

「お客さんが見ているなかで、変なミスはしたくないという思いが出てしまった」

 口をつく言葉も、反省の弁ばかり。その背後にあるのは、「プロとして確実に勝たなくては」という責任感。そして、「準決勝、決勝と上がっていくなかで、ああいうプレーをしていたらどんどん差が開く」という、上位勢との対戦の想定だ。

 16歳の年齢や初出場の状況に甘んじることなく、彼は明確に「優勝する」ためにここに来ていた。

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