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「息子の靴の裏」も走法のヒントに。パラスキーのレジェンド・新田佳浩が持ち続けた前向きなマインド (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 吉村もと●撮影 photo by Yoshimura Moto

――さまざまなヒントや工夫で広がる可能性を感じていたことが、長く頑張れた原動力だったと。

「後輩から学ぶこともあるし、他競技の年下のオリンピアンに話を聞いたこともあります。ステップアップには常に前向きなマインドを持ち続けることが大切でしょう。

 年齢によって失われていく能力もありますが、競技者としてやっている以上、負けたくないという思いはなくしたくありません」

――負けたくない、ですか?

「もちろん、努力しているという前提があってのことですが、自分の能力に自信をもっているし、正しいと思ってやってきた成果を試合では最大限に出したいし、出せると思っています。だからこそ、負けたくないですね。

 それに、子どもたちがずっと、僕が1番になると思ってくれているのも、大きな力です」

――そういえば、これまで金メダル獲得のたびにモチベーションについて伺った時、最初はおじい様で、その後はご家族、特に息子さんたちを挙げていました。では、この4年間は?

「『チームのために』が、大きかったです。平昌大会までは僕自身の順位を求めて、ひとりでトレーニングすることが多かったですが、この4年間はチーム作りも考えて、『一緒にやろう』と僕のほうから後輩たちに声をかけるようにしました。一緒に滑って気になった部分があれば伝えたり、僕のやり方を助言したり、チームとして取り組むことが増えました。

 また、昨シーズンに関しては、阿部(友里香)選手から直接、『教えてほしい』と言われたので、技術的なことをいろいろ伝えました」

――手ごたえはありましたか?

「北京では自分のメダル獲得以上に、他の選手それぞれが納得する形で大会を終えることを願っていたし、実際、大会後に皆、『よかった』と言っていたので、うれしかったです。

 大会後には、選手たちから『新田さん、(選手を)辞めないでください』と言われたり、阿部選手からも『イタリアまで一緒にやってほしい』と言われて、必要とされていることを今、うれしく感じています」

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