「息子の靴の裏」も走法のヒントに。パラスキーのレジェンド・新田佳浩が持ち続けた前向きなマインド (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 吉村もと●撮影 photo by Yoshimura Moto

――川除選手という、後継者も誕生しました。

「彼は今まで、僕の陰に隠れて遠慮がちなところがありましたが、この1年で姿勢や発言も大きく変わってきた印象がありますし、金メダルを獲得してさらに自信になったようです。これからはチームの大黒柱としてやっていくべき選手ですし、もっと成長するタイミングだと思うので、楽しみです」

――メダリストとともに、チームリーダーの継承という意味で、川除選手にアドバイスはありますか?

「今は少し自信を持ちすぎな部分も見受けられますが、まずは、のびのびとやりながら、しっかり結果を出すことを目指してほしいですね。

 ただ、今は学生で、スキー部という基盤がありますが、社会人になると時間が制約され、練習環境も変化します。いろいろ工夫が必要な状況になったときに真価が問われると思います。

 僕自身も経験しましたが、(競技歴が)8年も経つと、周囲は知らない人ばかりになり、目標も失われがちになります。そういうなかで結果を求められるのは苦しいものです。ただ、重要なのは本人自身が考え、何を選択するかです。僕自身の経験は伝えながら、見守っていきたいと思っています」

――チームとして、1998年の長野大会からつづく「メダル獲得の歴史」がつながったことも大きかったのでは?

「僕が選手を長く続ける意味のひとつだったので、今回、ストーリー的にはめちゃくちゃきれいな形でしたね。

 最後のオープンリレーはひとりが2回走ることになり僕はプレッシャーも大きかったのですが、川除くんとふたりだったからこそ、思いをつなぎ合うことができ、思い入れの強いレースになりました。

 僕はこれまで、『最後まであきらめない滑りの大切さ』をずっと言ってきましたが、川除選手が(フィニッシュ直前に)ドイツの選手を交わし7位に上がったことで、僕が伝えたかったことを体現してくれました。その思いもバトンパスできて、よかったです」

――いい締めくくりとなったようですが、ご自身の今後についてはいかがでしょうか?

「今、いろいろ模索しているところですが、選手兼コーチとしてチームに残ろうと考えています。選手としてはやることはやって満足していますが、長い選手経験のなかで考えてきたこともあるし、選手だからこそ伝えられる部分もあるかなと。選手とコーチをつなぎ、両方の意見を聞ける立場として調整役を担えればと思います」

――試合にも出ながら?

「試合にも、出ます。ただ、僕自身に課した思いとして、メダルが獲れない選手は選手としてやる必要がないと思う部分はあります。そのなかで、選手兼コーチとしてやりながらメダルが獲れると思えば続けるかもしれません。

 これからの僕の役割は、メダルの可能性がある若い選手を引き上げてあげることだと思います。現状はなかなか厳しいですが、川除選手以外の選手もメダルが獲れるチームにしていくために、これまでのやり方を変えるのはこのタイミングかと思います。僕は選手兼コーチとして新しい提案をしていければと考えています」

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