パラバドミントンの若き世界女王。
里見紗李奈「応援は本当に力になる」 (2ページ目)
里見がパラバドミントンを始めたきっかけも、敦さんだ。中学時代にバドミントンをしていたこともあり、敦さんの勧めで地元・千葉の車いすバドミントンチーム「パシフィック」の練習を見学に行った。最初は敦さんのほうが熱心で、里見自身は「趣味としてできれば」と考えていたが、次第にチームメイトたちと過ごす時間に居心地のよさを感じるようになり、「気づいたら、週6とかで通っていましたね」と笑う。
そして、このチームを設立し、率いていたのが、男子強化指定選手の村山浩。彼もまた、里見を競技の世界へと引っ張り上げてくれた人のひとりだ。里見は3年間のブランクがあるとはいえ、元バドミントン部。試しに村山と打ってみると、身体周りのショットは返球できた。だが、前後に揺さぶられると、まったく対応できなかった。片手でラケットを持ちながら車いすを操作し、ストップ&ゴーを繰り返すという作業は想像以上に難しく、同時に転倒の恐怖も思い知った。
だが、村山はこう里見に声をかけたという。
「一緒に世界に行こう」
パラリンピックに行けるかもしれない。そこから里見はシャトルを追うことに夢中になった。チェアワークのスキル、車いす使用のフォーム改造など、村山は里見を指導し続け、また少しずつ成長の階段をのぼる姿を常に見守ってくれた。
「それは今も変わっていません。大会の決勝前日は『大丈夫だよ』『一緒に金メダルをかけようね』とLINEでメッセージをくれたり、パラリンピックの延期が決まった時も『来年は絶対ふたりでパラに出ようね』って。村山選手は周りをよく見ているし、みんなに信頼されている。そんな村山選手が私の味方でいてくれることが、心の安定につながっていると思います」
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