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ウィルチェアーラグビー・三阪洋行「ロンドンパラがトラウマになった」 (2ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 例えばどんなことがありましたか?

三阪 言葉の掛け方でいうと、日本は「お手伝いしましょうか」。できないからお手伝いしましょうかというの対し、海外では「Are you OK?」って、「大丈夫か? 自分でできるのか?」でした。一人の人間として尊重し、向き合ってくれたという意味では、価値観を変えてもらった大きなきっかけだったと思います。あとは甘えてる自分がすごく嫌やったんですけど、無謀なチャレンジに成功した時に、自分のことを褒めてあげたいと思えたし、自分の可能性に期待できるようになりました。

伊藤 自分に期待できるってすごい言葉ですね。

三阪 そうですね。でも、自分でもちょっとビックリしました。誰もが失敗して1カ月ぐらいで帰ってくると思ってたらしいんです(笑)。

伊藤 そうなんですね(笑)。4カ月後、日本に戻ってきて、プレーに変化はありましたか?

三阪 ありました。やっぱりニュージーランドの組織的なプレーっていうのを学ばせてもらいました。もちろん一人一人の個人の能力も高いんですけど、組織力で戦うっていうのを、まだ未熟だった日本のチームに持ち帰れたっていうところは、ひとつ日本代表が次のステップに行くきっかけになったのかなと思います。

伊藤 ニュージーランドに行ったのが2002年で、アテネパラが2004年ですから、代表に選ばれたのは2003年。

三阪 そうですね。2003年に千葉県で開催された、アジア・オセアニアゾーン選手権が、初代表入りですね。その大会では、ニュージーランド、オーストラリアに全然歯が立ちませんでした。僕は数秒とか1分とかそんなレベルでしか出番がなかったんですけど、最終戦のニュージーランド戦で、初めてスターティングメンバーに選ばれて、チャンスをもらいました。そこがまたターニングポイントというか、結論から言うと、そこでプレーヤーとして結果をうまく出せたんです。相手がニュージーランドで、彼らがどういうプレーヤーかっていうのを知っていたので、思い切りやれたというのがありました。

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