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アイススレッジホッケー世界選手権で惨敗。ゼロからのリスタート (4ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto

 12年の世界選手権(ノルウェー)がAプールデビューだ。だが、オンアイスの時間は最終戦となる順位決定戦のみ。翌年2月のイタリア遠征でもベンチを温める時間が長かった。だが、その悔しさをバネに奮起し、その年に長野で開催されたBプール世界選手権では得点に絡むまでに成長。粘り強いチェックで相手の体力を消耗させる役割もこなした。

 アイススレッジホッケーを始めてから3年半で迎えた、ソチパラリンピック出場権をかけた最終予選(イタリア)では中心メンバーになりつつあったが、首脳陣の方針でセカンドラインに甘んじた。チームは敗れ、自分の目標も達成できず、まさかのパラリンピック出場を逃すという事態に、不覚にも涙がこぼれた。「本当に悔しかった。でも、その苦い経験があったから、ここまで来ることができた」と熊谷。

「代表になったからOKというわけじゃない。今回も、この惨敗の意味をきちんと考えられる選手がどれだけいるか。自分はもちろんだけど、チーム全体がこの悔しさを糧にしないと」と、チームメイトに発破をかけ、覚醒を促す。

 とはいえ、自身の競技経験の浅さも世界との実力差も自覚している。今大会、海外勢にリズムを握られて周りが見えなくなり、判断が甘くなったりする場面も多く、アイスホッケー経験者でもある高橋から叱咤されることも。また、味方のイージーミスで失点した時は、リンクでもベンチに下がってからも怒りがおさまらなかったが、中北浩仁監督から「それじゃあエースになれないぞ」と指摘された。「追い込まれた時こそ冷静な対応をして、チームを盛り上げる選手にならないと」と心に刻んだ。

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