鈴木奈央、宮脇花綸がともに慌てた爆睡・寝坊エピソード披露 自分で決めた「変なルール」とは (2ページ目)
オリンピック出場を目標にしていただけに辛い状況も経験した鈴木 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る
【栄光と再起】
――宮脇選手はそこからさらに3年後のパリ大会を目指します。どのようにして立ち直れたのでしょうか。
宮脇 理由はふたつあります。ひとつ目はコロナ禍で、外部の選手とうかつに接触できない状況になってしまって、代表に決まった選手たちの練習相手が私たち以外にいなくなったことです。だから私が強い練習相手でないと彼女たちが頑張れないのではないかと思って、そこで頑張ろうと思いました。もうひとつは他にやりたいことがあったわけでもなく、自分が一番ワクワクすること、やりたいと思うことは何だろうと考えた時に、やはりフェンシングだなと思ったので、続けていこうと思いました。
鈴木 練習相手として自分が代表選手に勝ったりしたら、自分が出たいと思いそうですけど......。
宮脇 そういう思いよりも、私に勝てないとメダルは獲れないわけだから、私が強い練習相手になろうと思って、練習では本気で勝つつもりでやっていました。
鈴木 すごく気持ちが強いですね。しかも2020年から次のパリ大会を考えると4年後になるじゃないですか。そこは長いなと思いますよね。
宮脇 そうですね。フェンシングは年齢があまり関係ない競技で、10代で強い選手もいれば、40歳手前で強い選手もいます。私の年齢的にも問題ないと思いましたし、日本のチーム自体がすごく強くなっている途中だったので、切磋琢磨できるいい環境にいるんじゃないかなと思いました。
――そしてパリ大会の女子フルーレ団体で銅メダルを獲りましたが、それまでの道のりを考えると、メダル獲得の意味は大きかったのではないですか。
宮脇 大きかったですね。初めて自分でひとつ何かをやり遂げたなと思いました。アンダー世代で優勝したり、国際大会でメダルを獲ったりするのとは別次元の達成感でした。なにより本当にたくさんの友達や知り合いが見に来てくれて、周りの人を巻き込んで盛り上がれたのがすごくよかったなと思っています。
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