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髙木美帆が輝いた裏にあったスピードスケートと向き合い続ける難しさ「心のなかで悲鳴を上げている部分もありました」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【好きな1500mで締めた最後の五輪】

「本当に強さを感じた時期はいつだったか」という質問に対して髙木は、苦笑しながらこう答えた。

「自分で強かったと表現するのはちょっと恥ずかしいですが、平昌五輪シーズンと北京五輪シーズンは競技人生のなかで、けっこう波に乗っていた時期だったかなと思います。ただ、1500mは五輪で勝てなかったので、そこも面白いというか奥が深いなとは思っています」

 W杯では圧倒的な強さを見せ続けながら、4年一度やってくる五輪では最後まで頂点に立てなかった1500mは、髙木がもっとも好きな種目と自認するものだった。

 1500mが好きな理由について2016年には、「その時の体やリンクの状態を考えて力を出しきれる理想的なペースを設定し、それを体現することに魅力を感じる」と話していた。そんなレースをどこまで極められたかと引退会見で問うと、髙木は「それは討論したいくらいの話ですね」と笑顔を見せてこう続ける。

「1500mの魅力はゴールした時に100%を出しきれるかだと思っていて、手前でガス欠になるわけでもなく、ゴールしてやや余力が残っているわけでもない絶妙なスピードやパワーの配分をしなければいけない種目だなと思っています。

 人によってそこの戦術が変わってくるからこそ面白い種目だなとも思っていますが、今回の五輪の時、1500mの前日に一瞬だけ、『もっとペースをコントロールして入ってみよう』と思ったんです。ただ、その日に行なわれた男子1500mで五輪新記録が出たのを見て、やっぱり攻めて勝ちきるレースをしたいなと思ったんです。『私が最後やりたいことは何だ』と考え、『攻めるレースだな』と思って、選択したところはありました」

 奇しくも五輪の最終レースが1500mだったミラノ・コルティナ五輪では、攻めるレースで悲願の金メダル獲得に挑戦したが、出場4種目中で唯一メダルに届かない6位に終わった。

 それでも1500mを最後に滑ることができてよかったと振り返る。

「今回の五輪は、前半ずっと悩んでいたというか、吹っきれない部分がありました。でも、最後にはレースに取り組む上での覚悟や気持ちを固められたところもあるし、スケーティングも前半よりは自信を持って挑めるようにもなっていました。そうしたことをひっくるめても、1500mが最後でよかったなと思います」

 結果は出せなかったが、自分が描いたレースを貫けた充足感があった。

【新しい世界への第一歩】

 引退後しばらくは「何者でもない自分でいたい」と言うが、そのあとはこれまで興味を持ったことがある脳と体の関係や、それに付随する人間の健康寿命などを学び、広げていく活動も視野に入れているという。

 スピードスケートに集中する時間から解き放たれた髙木は、これから第二の人生をスタートさせる。

Profile
髙木美帆(たかぎ・みほ)
1994年5月22日生まれ。北海道中川郡幕別町出身。
中学3年生で2010年バンクーバー五輪に出場して以降、4大会に出場し、金メダル2、銀4、銅4の計10個のメダルを獲得。世界距離別選手権には7大会出場し、チームパシュートを含めて金メダル6個など、16個のメダルを獲得した。W杯個人種目では1500mで5季連続を含む6回の種目別総合優勝のほか、1000mでも3季連続総合優勝を果たしている。さらに世界オールラウンド選手権では、2018年に男女を通じて欧米人以外初の総合優勝を果たし、世界スプリント選手権でも2020年に総合優勝を果たして日本人初の世界選手権2冠を達成。多くの偉業を達成し、日本を代表する女子スピードスケート選手として活躍し続けた。

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