「どれだけ年齢のことを聞いてくるんだよ」と窪木一茂 年齢を超越する競輪への意欲と集大成となるロス五輪への覚悟 (3ページ目)
【あくなき向上心と探求心】
窪木はその後も競技を続ける道を模索し続けた。和歌山県庁退職後の2016年からイタリアに渡りロードレースの選手として活躍。「ヨーロッパでの競技活動はすごくよかった」と充実した毎日を送った。
東京オリンピックには、ロードレースでの出場と上位進出を狙っていたが、「高低差のあるコースに変わったことで、これは厳しいなと感じていた」。そんな時、チームブリヂストンサイクリングから「トラック種目で東京オリンピックを目指さないか」との誘いがあった。
窪木はその誘いを受けて帰国。しかし最終的に落選の憂き目にあってしまう。実力的には申し分なかったが、本人は当時のコーチとの関係性も含め、「2年間では時間が足りなかった」と準備不足が原因だったと今では捉えている。
そんななかで、新型コロナウイルスがまん延し、東京オリンピックが1年延期になった。これを機に日本競輪選手養成所への入所を決断する。その大きな決め手となったのが、日本短距離界の躍進だった。
「海外にいる時から、日本のトラック競技、とくに短距離がずば抜けて伸びているなと感じていました。聞いてみると、ナショナルチームに来た外国人コーチたちがトレーニング法を一新してやっていると。僕は長年パワーとスピードが自分には必要だと思っていたので、彼らの短距離の練習をやってみたかったんです。そのコーチたちが、養成所にそのカリキュラムを落とし込んでいて、それを候補生たちがやっていると聞きました。だから僕は養成所に行かないといけないと思いました」
窪木は競技に対して全身全霊を傾けてきたこの記事に関連する写真を見る 窪木はこの時30歳。多くが20歳前後という候補生のなかで、世界トップクラスの実力者が同じ立場で訓練を受けるのは、よほどの覚悟が必要だろう。当時のチームブログには窪木の言葉として「これからも強くなる場所を探し求めていきます。そのために必要なら、どんなことにも挑戦します。ハングリーな人生を歩き続けます」とある。あくなき向上心と探求心だ。
この養成所で課題であったパワーとスピード面を強化したことにより、さらなる高みへの礎を築いた。養成所卒業後は、自転車競技と競輪の二刀流で活躍し、とくに軸足を置いていた競技のほうで好成績を連発。前述のとおり世界選手権で金メダル1個、銀メダル3個、2024年夏には8年ぶりとなるオリンピックにも出場した。
そして現在は2年後に控えるロサンゼルスオリンピックを見据え、日々鍛錬を積んでいる。パリオリンピックではオムニアム、マディソンとも6位という結果だったため、狙うはメダル獲得かと思いきや、「オムニアムで金メダル、マディソンでも金メダルを獲れると思っています」とさらなる頂に照準を合わせている。
そして「ロスが終わったらいよいよ競輪を頑張ります」と次大会が競技における集大成になると断言した。
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