「自分をよく思わない人もいる」「自分は競輪界のヒール」と阿部拓真 笑顔の裏にある不屈の闘志と努力の日々を語る (2ページ目)
【ある日突然の決断】
阿部が競輪を知ったのは中学2年の時。新聞で仙台商業高校の自転車競技部の活躍を目にした時だった。
「仙台商業には当時、菅田さん(菅田壱道/宮城・91期)とか強い選手ばかりいましたし、自分の家から一番近い高校でもありました。父からは『自転車は今から始めても遅くない競技なんだよ。実力をつければ競輪選手の道もあるよ』と勧められました」
両親はそれまでもさまざまな選択肢を与えてくれていたが、そのなかでも阿部は自転車に興味を抱いた。ただ進学した仙台商業では、それまで取り組んできたサッカーを続けた。「がむしゃらにプレーをしていたことが評価された」と、1学年60人もいる部員のなかでAチームに所属してフォワードとして活躍していたが、次第に、「自転車をやりたいな」という気持ちが芽生えてきた。
そしてある日突然転機を迎える。それは天啓に近い感覚だったのかもしれない。
「急に決断できて、今日(サッカー部を)辞めて自転車をやろうと思った日がありました。仲間たちにも『俺、今日サッカー部辞めて自転車部に入るわ』と言って、その日に『辞めます』と伝えました。サッカー部でも一生懸命にやっていたので、周りのみんなも驚いていました」
顧問の先生も寝耳に水の状態。それまでは「『辞めたい』と言った部員はすんなり辞めさせていた」というが、阿部の場合は違った。「ちょっと待て、考え直せ」と繰り返し言われ、最終的には自宅まで来て、両親に「辞めさせないでくれ」と懇願してくれたという。
しかし阿部の意志は固かった。2年からは自転車競技部に入り、がむしゃらにペダルを漕いだ。ここから輝かしい成績を残し始めれば、この転向は正解だったと言えるだろうが、事はそう簡単には進まなかった。
「高校時代のタイトルとか成績は何もないです。インターハイも落車して終わりました。決勝とかではなくて、敗者復活戦での落車でした。全然結果も出せず、弱かったです」
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