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【平成の名力士列伝:豪風】周囲の支えに鼓舞され土俵に上がり続けた「新関脇昇進&初金星・最高齢記録」の勲章 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【周囲の支えを糧に平幕在位は史上2位の83場所】

 34歳になる直前の平成25(2013)年5月場所後、右ヒジの手術を受けた。今度は心ではなく、体が悲鳴を上げていた。三役も経験し、三賞もすでに2回獲得したことから「辞めるのには、いいきっかけかな」と手負いの身に引き寄せられるように気力も落ちかけたが、「看護師さんや主治医が自分の完全復活のために、一生懸命やってくれている。辞めようと思った自分が恥ずかしくなった」とすぐに気持ちを切り替え、リハビリにもきちんと向き合い、出直しを誓った。

 1年後の平成26(2014)年7月場所9日目、横綱・日馬富士との対戦では、当たってすぐにいなして泳がすと、間髪入れずに攻め続ける会心の相撲で押し出し。初金星としては35歳1カ月という史上最高齢での獲得となった。前頭4枚目のこの場所で9勝をマークすると、翌場所は35歳2カ月の戦後最高齢で新関脇に昇進。新入幕から所要68場所も史上1位のスロー出世だった。

 平成29(2017)年3月場所後、37歳で2度目の手術を受けたときも、引退が頭を過(よぎ)ることもあったが、リハビリのトレーナーの献身的な姿に感銘を受け「絶対に這い上がって結果を出さないといけない」と元気をもらい、同年7月場所は前頭12枚目で8勝7敗。この場所が幕内での最後の勝ち越しとなった。

 平成30(2018)年5月場所、昭和以降2位となる38歳10カ月の高齢で入幕を果たしたが、1場所で十両へ。翌年の1月場所10日目、39歳で引退を表明した。

 約16年半に及ぶ現役生活はちょうど100場所。そのうち98場所を関取として過ごし、平幕在位は史上2位の83場所にも及んだ。新関脇昇進と初金星の最高齢記録保持者は「記憶はいずれ忘れ去られるけど、記録を残せば記憶にも残る。『豪風を抜かそう』と思える記録を残せたのはうれしい」と記録にもファンの記憶にもその名を刻んだ。

"限界"をはるかに超え、40歳直前まで関取として土俵を務めることができたのは、周囲の支えがありながらもストイックに相撲に打ち込んできたからだ。通常は本場所が終わると1週間は稽古が休みになるが「自分は場所休み後の稽古にすんなり入りたかったので、場所休みは稽古に入るための準備期間として考えていた」と完全休養することなく、体を動かし続けた。巡業のときは移動先に到着すると、食事を摂る前にビジターとして事前予約した現地のジムで汗を流すのを習慣としていた。

「やらなければいけないことは、すべてやってきた」とノンストップで駆け抜けた長い現役生活だった。

【Profile】
豪風旭(たけかぜ・あきら)/昭和54(1979)年6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身/本名:成田旭/所属:尾車部屋/しこ名履歴:成田→豪風/初土俵:平成14(2002)年5月場所/引退場所:平成31(2019)年1月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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