横綱・大の里が成し遂げた史上最速昇進の裏に、二所ノ関親方からの「稽古の貯金はないぞ」との檄と徹底した下半身強化 (2ページ目)
【「部屋のなかで一番つまらない稽古」が礎に】
超スピード出世で番付を駆け上がっていった大器も、昨年九州(11月)場所の新大関場所から9勝、10勝と平凡な成績に終わり足踏みした。「稽古の貯金はないぞ」と親方に言われるまでもなく、自身も危機感を感じていた。大関として優勝争いにも絡めなかったこの2場所を反省し、春(3月)場所前の2月には、部屋で下半身の強化に徹底して取り組んだ。
特別なことをやったわけではない。朝は若い衆よりも早く土俵に降り、四股、腰割り、すり足といった基礎運動に多くの時間を割き、毎日たっぷりと汗を流した。壁に正対しながら両足は限りなく180度近くまで開いた状態でそのまま腰を下ろし、きつい四股も踏んでしっかりとした土台を作り上げると、その成果はさっそく次の場所で現れた。
どっしりとした下半身は相撲に安定感とさらなる力強さをもたらし、大関3場所目にして初めて優勝戦線にも名を連ねて12勝をマーク。最後は本割で敗れた髙安を優勝決定戦で破って通算3度目の優勝となる大関初Vを果たし、綱取りの挑戦権を得た。
しかし、場所後の春巡業では圧倒的な強さを示すほどの稽古内容とは言い難かった。稽古時間が限られているうえ、夏場所の番付発表前日まで行なわれる全25日間の長丁場という過密スケジュールは、難しい調整を強いられた。
「体育館の床で踏む四股は土の上で踏むのとは違うし、部屋の稽古場でしっかりと基礎をやりたい。いろいろな気づきを得るためにも親方とも稽古をやりたい」と巡業中は、渇望感を口にすることもあった。綱取り場所を前にして、稽古の進捗状況に若干の焦りもあったようだ。
番付発表以後は5月1日に行なわれた二所一門の連合稽古を体調不良により欠席。翌日の横綱審議委員会による稽古総見でも精彩を欠き、横綱・豊昇龍とは9番を取って1勝8敗と振るわず、調整の遅れを露呈した。その後は急ピッチの仕上げとなったが、基礎の見直し、親方との三番稽古などで確かな手ごたえをつかんで、夏場所初日を迎えたのだった。
「急ピッチだったけど、しっかり稽古はできたので自信があったし、初日からいい相撲が取れて流れにも乗ったかなと思います」
初日から若元春、髙安と前場所で敗れている相手を降して連勝発進。さらに阿炎、王鵬と直近で連敗を喫している分が悪い相手も退け、序盤を全勝で乗りきったことで流れにも乗った。
相撲ぶりも日を追うごとに盤石さが増していった。悪い癖だった呼び込むようなまともな引きが影を潜めるようになったのは、立ち合いで腰がしっかり割れるようになったことで、上体が起こされにくくなったからだ。これも地道に取り組み続けてきた下半身強化の賜物であった。
「今まではそこまで基礎を大事にしてこなかったけど、この部屋に入って四股、腰割り、すり足、テッポウを大事にして忠実にやってきた結果が身になったと思います」とアマチュアエリートだった男は、プロ入り後に基礎の重要さを改めて痛感。以来、師匠の教えを守り続けてきた。二所ノ関親方も「部屋のなかで、大の里が一番つまらない稽古をやっている」と認めるほどだ。
つづく
【Profile】
大の里泰輝(おおのさと・だいき)/平成12(2000)年6月7日生まれ、石川県河北郡津幡町出身/本名:中村泰輝/能生中―海洋高(以上、新潟)―日本体育大/主なアマチュア戦績:学生横綱(2019年)、アマチュア横綱(2021、22年)/所属:二所ノ関部屋/初土俵:令和5(2023)年5月場所、初十両:令和5(2023)年9月場所、新入幕:令和6(2024)年1月場所、新三役:令和6(2024)年5月場所、大関昇進:令和6(2024)年11月場所/横綱昇進(第75代):令和7(2025)年7月場所
大の里を育てた〈かにや旅館〉物語
少年たちの夢を支え育む
相撲部屋を舞台にした感動のノンフィクション
新潟県糸魚川市能生(のう)に、全国の相撲少年が集まる寮〈かにや旅館〉がある。海洋高校相撲部の田海(とうみ)哲也総監督が経営していた元旅館だ。そこが実質、相撲部屋となり、続々と未来のスター力士を輩出している。
パワハラ、いじめ、不登校など、難しい問題が渦巻く中、田海夫妻が彼らの心身の成長に深くかかわり、そのおかげで生徒たちは練習に打ち込めていた。大の里をはじめ白熊、欧勝海、嘉陽ら多くの力士が巣立っていった〈かにや旅館〉で繰り広げられる、力士育成の物語。
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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