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【平成の名力士列伝:逸ノ城】「怪物」が残した鮮烈な新入幕場所のインパクトと不完全燃焼の土俵人生 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【体重過多による腰痛で不完全燃焼の土俵人生に】

 翌場所は小結を通り越し、一気に関脇に昇進。新入幕から所要1場所での関脇昇進は昭和以降では初めて。さすがに苦戦するかと思われたが8勝7敗と勝ち越し、大関昇進は時間の問題と思われた。

 しかし、関脇2場所目の平成27(2015)年1月場所で入門以来初の負け越しを喫すると、その後は低迷することになる。不振の要因は体重過多による腰痛だった。腰椎椎間板ヘルニアを患い、212キロあった体重を187キロまで落としたが、持ち前の"規格外"のパワーも削がれてしまった。そこで減量をやめると本来の相撲を徐々に戻り、平成30(2018)年3月場所からは5場所連続で三役に在位し、体重も自己最高の227キロをマークした。

 平成31(2019)年3月場所は賜盃こそ全勝の白鵬にさらわれたが、最後まで優勝を争って14勝。新入幕場所以来4年半ぶりの三賞となる殊勲賞を受賞したが、復活のきっかけとはならず、右膝や右肩の負傷、腰痛の再発などで十両へ陥落する憂き目にも遭った。

 令和2(2020)年9月場所で4場所ぶりに幕内に返り咲くが、入幕後も目立った成績は残せなかった。令和4(2022)年7月場所、29歳にして初賜盃を抱いたが、衝撃的な幕内デビューから8年が経過していた。遅すぎた初優勝も起爆剤とはならず、令和5(2023)年5月場所前に突然の引退発表。

「腰の状態が手術をしてもあまりよくならなかった。2日前に親方(元幕内・湊富士)と話をして決めました」とその理由を語ったが、その表情に笑顔も涙もなく、"怪物"は不完全燃焼のまま土俵を去った。

【Profile】
逸ノ城駿(いちのじょう・たかし)/平成5(1993)年4月7日生まれ、モンゴル・アルハンガイ出身/本名:三浦 駿/所属:湊部屋/初土俵:平成26(2014)年1月場所/引退場所:令和5(2023)年5月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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