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【平成の名力士列伝:土佐ノ海】恵まれた体躯を生かした激しい相撲で数多の金星&三賞に輝いた上位キラー

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

力と技を併せ持ち、躍動感あふれる相撲を最後まで貫いた土佐ノ海 photo by Jiji Press力と技を併せ持ち、躍動感あふれる相撲を最後まで貫いた土佐ノ海 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝37:土佐ノ海

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、38歳まで激しい相撲で沸かせた土佐ノ海を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【新入幕の初日から大関・横綱と対戦の巡り合わせ】

 金星11個は史上4位で、三賞受賞通算13回は史上7位タイ。土佐ノ海は平成時代に16年以上の長きにわたって土俵に上がり、鋭い当たりからの馬力十分の突き押しと思いきりのよいイナシで、上位キラーとして存在感を示した実力者だ。

 出身は高知県安芸市で本名は山本敏生。野球少年だったが小5の時から相撲を始め、高知高校から同志社大学に進んで頭角を現し、15のタイトルを獲得する。西日本では無敵の強さを誇り、同学年の尾曽(専修大学。のち大関・武双山)と、「東の尾曽、西の山本」と並び称された。その尾曽が大学を3年で中退して大相撲入りして活躍する姿にも刺激を受け、卒業と同時に元関脇・藤ノ川の伊勢ノ海部屋に入門。平成6(1994)年3月場所、故郷に因んだ「土佐ノ海」の四股名で、幕下最下位格付け出しで初土俵を踏むと、幕下を4場所、十両を3場所で通過し、スピード出世で幕内へと駆け上がった。

 大きな注目を集めたのは、新入幕の平成7(1995)年7月場所。出世の速さに髪の伸びが追いつかず、大銀杏でなくチョンマゲ姿で土俵に上がった新鋭が、初日に大関・若乃花(のち横綱)、2日目に横綱・貴乃花と、いきなり横綱・大関に挑んだのだ。前場所が東十両筆頭で14勝1敗という高レベルでの優勝で、この場所は新入幕ながら西前頭7枚目に躍進していたこと、そのうえ上位陣に二子山部屋勢が多く、同部屋同士の対戦は組まれないというルールから順当な対戦ではあったとはいえ、新入幕が初日に大関と対戦するのは86年ぶり、2日目に横綱と対戦するのは89年ぶりのことだった。

 さすがに上位陣の壁は厚く、この2戦のほか大関・貴ノ浪とも対戦していずれも敗れ、7勝8敗と入門以来初めて負け越したが、ようやく大銀杏を結って登場した翌9月場所は貴ノ浪を破って11勝し、初の三賞となる敢闘賞に輝く。続く11月場所では貴乃花、曙の両横綱から金星を挙げて9勝し、殊勲賞と技能賞をダブル受賞の大活躍で、平成8(1996)年1月場所は新小結に昇進。その後は三賞や三役の常連となった。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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