【平成の名力士列伝:三杉里】「いぶし銀」として存在感を示し、「土俵際の魔術師」として輝きを放った職人
現役後半は若貴の兄弟子としても存在感を発揮した三杉里 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝33:三杉里
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。「いぶし銀」の職人的存在として土俵を沸かせ、退職後は整体師となった三杉里を紹介する。
【上位キラーとして金星6個を挙げた土俵際の魔術師】
喜怒哀楽を表に出さない、淡々と落ち着いた土俵態度で、相撲は正統派の四つ相撲。派手さはなくて目立たないけれど、ここぞという時は土俵際、粘り強い逆転技を披露して上位陣からしばしば殊勲の星を挙げる。
三杉里は、平成初期の土俵でそんな職人のような「いぶし銀」の存在感を放った力士だった。
出身は信楽焼で知られる滋賀県甲賀郡信楽町(現・甲賀市)で、信楽工業高校(現・信楽高校)窯業科に進学した。土をこねるのが好きで、力士にならなかったら陶芸の道に進んでいたかもしれないという。高校ではレスリング部で活躍し、国体に出場するほどの実力の持ち主だったが、元横綱・初代若乃花の二子山部屋からスカウトを受け、中退して入門。昭和54(1979)年1月場所で初土俵を踏んだ。
三段目時代の昭和55(1980)年11月場所、若三杉と隆の里という部屋の二人の横綱に因んだ四股名「三杉里」に改名。期待にこたえて昭和59(1984)年7月場所、22歳で新十両昇進を果たした。1場所で幕下に陥落して苦労したが、力を蓄えて2年ぶりの再十両を果たした昭和61(1986)年7月場所で十両優勝を果たし、昭和63(1988)年5月場所で新入幕を果たし、平成元(1989)年1月場所で新小結に昇進。以後は幕内上位に定着した。
平成4(1992)年5月場所、霧島、小錦の両大関を破って10勝して敢闘賞に輝き、再小結の7月場所も8勝7敗と勝ち越してその座を守った。翌9月場所で負け越して平幕陥落後は三役に戻れず、三賞とも縁がなかったが、金星6個の上位キラーとして確かな存在感を示した。大きな武器となったのが土俵際での突き落としやうっちゃりなどの逆転技で、北勝海(2個)、旭富士(1個)、曙(3個)から金星を奪い、「土俵際の魔術師」「三杉里マジック」などと称された。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。