「減量で生理が止まった」中村美里 「体重が激減した」伊藤華英 ふたりが悩んだ高校時代の体調不良を明かす (4ページ目)
【階級を上げて生理が戻る】
――伊藤さんは中学・高校時代にコンディション不良はあったのでしょうか。
伊藤 私は練習量が多くて、食べてもエネルギーが足りない状態になってしまって、体重が激減していました。練習で3、4kgほど体重が減ってしまうんですが、練習がきつすぎて、食べたいという気持ちが湧かなかったです。高校2年生で初めて日本代表に入ったんですが、体重の激減が影響して高校3年生では代表に入れませんでした。高校生のころは心身ともに成長している段階で、骨や筋肉は20歳頃にピークを迎えます。そのような成長段階ですので、身体的に不安定なときも多いですね。
中村 私は身長が伸びる時期がなかったです。高校生のときにいっぱい食べていたら、もしかしたらもっと身長が伸びたかもしれないですね。
――伊藤さんは食べても体重が減ってしまう、中村さんは食べたくても減量のために食べられない。コンディション面では大変な高校時代を過ごされたんですね。中村さんはそんな状況でも48kg級で続けていましたが、当時はオリンピックも視野に入っていたんでしょうか。
中村 その当時は谷亮子さんが同じ階級にいらして、次の北京オリンピックでは、第1候補が谷さんで、2番手くらいに私がつけていた時期でした。
伊藤 オリンピック出場が見えていたんですね。
中村 そうです。だから階級をひとつ上げるという意識はなかったです。ただ、谷さんが出産から復帰されて世界選手権(2007年)で優勝したんですよね。当時の選考基準で言うと、もう自分がどんなにがんばっても(48㎏級では)北京オリンピックに出られないなと思いました。先生からも「だったら次のロンドン大会に向けて階級を上げよう」と言われて、確かにそうだなと。そして、高校3年生の秋の全日本(講道館杯全日本柔道体重別選手権大会)から52kgに上げたら優勝して、さらに(嘉納治五郎杯東京国際柔道大会でも)連続優勝したことで北京につながりました。
伊藤 結果的によかったんですね。
中村 はい。運もよかったんだと思います。北京には48kg級に谷さんが出て、私は52kg級の最終選考でも勝てたので本大会に行けました。
――食事の量は階級を上げる前と比べてどう変わりましたか。
中村 そのときには「やったー!」と思って好きなだけ食べていました。体重のことは気にせず柔道に集中できたから、久しぶりに楽しく試合ができたという感じでした。
オリンピック3大会に出場した中村美里さん photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る
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