【平成の名力士列伝:琴ノ若】愚直な相撲道を貫いた美男力士としての歩みと長男・琴櫻が果たした大関昇進 (2ページ目)
【地道な相撲道を象徴した「ミスター1分」】
若くして人気を集めた力士が壁に当たると、相撲から気持ちが離れ、大成できないまま土俵を去ることも少なくない。しかし、琴ノ若は違った。端正な顔立ちの裏に相撲へのまっすぐな思いを失わず、厳しい声をしっかりと受け止め、泥臭く努力を続け、少しずつ力をつけていった。
平成7(1995)年7月場所、新小結で武蔵丸と貴ノ浪の2大関を破って9勝し、初の敢闘賞。平成8(1996)年3月場所で11勝して2回目の敢闘賞を獲得し、場所後に婿入りの形で師匠の長女の鎌谷真千子さんと結婚。身を固めてますます相撲に打ち込み、同年7月場所では、貴乃花と曙の2横綱を破って9勝を挙げ、初の殊勲賞に輝いた。その後も幕内上位で活躍を続け、平成11(1999)年1月場所では新関脇に昇進した。
簡単には勝負をあきらめず、長い相撲が多いことからついた異名が「ミスター1分」。水入りになった相撲が4番もあり、なかでも平成13(2001)年3月場所3日目の貴闘力戦はトータル8分28秒の大熱戦となった。
平成16(2004)年7月場所8日目の横綱朝青龍戦は、左上手投げで体が裏返った朝青龍に、ブリッジの体勢になりながら右下手をつかんでしがみつかれ、かばうようについた琴ノ若の左手が、朝青龍の体より先に土俵についた。軍配は琴ノ若に挙がったが物言いがつき、取り直しの末に敗戦。しかし、泥臭く、粘り強く、そして心根の優しさも感じられる琴ノ若らしい一番は、ファンの脳裏に深く刻まれている。
師匠の定年を機に、平成17(2005)年11月場所限りで引退して年寄佐渡ケ嶽を襲名。佐渡ケ嶽部屋の師匠として、大関・琴欧洲、大関・琴奨菊、実子である大関・琴櫻、関脇・琴勇輝、幕内の琴恵光、琴勝峰ら多くの力士を育てている。
現大関・琴櫻の長男・将且(まさかつ)が相撲を始めた小学生の頃、国技館で大会があると、夫人とともにしばしば応援に訪れていた。当時の将且は足が長いゆえに腰高で、土俵際まで攻め込んでは逆転負けすることが多かったが、決して声を荒げたりせず、温かいまなざしで見守っていた姿が印象深い。
愛情深く育てられた将且君はたくましく成長し、父の果たせなかった大関昇進を実現。「『琴ノ若』の名前を大関にしたかった」と新大関の1場所、琴ノ若の四股名のままで大関を務めたあと、祖父の「琴櫻」と改名し、父と同じく真っすぐに泥臭く相撲と向き合って、横綱を目指している。
【Profile】琴ノ若晴將(ことのわか・てるまさ)/昭和43(1968)年5月15日生まれ、山形県尾花沢市出身/本名:鎌谷満也/所属:佐渡ヶ嶽部屋/しこ名履歴:今野→琴今野→琴の若→琴乃若→琴ノ若/初土俵:昭和59(1984)年5月場所/引退場所:平成17(2005)年11月場所/最高位:関脇
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。
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