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【平成の名力士列伝:豊ノ島】抜群のうまさと反骨精神で最後まで走りきった紆余曲折の相撲人生 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【十両陥落からの再生】

 2場所後の同年5月場所で新小結に昇進したが、場所前に出稽古にやって来た朝青龍との手合わせで右ヒザと右足首に全治2週間のケガを負ってしまい、即座に病院へ直行。"やんちゃ横綱"の荒々しい稽古ぶりに、弟子を傷つけられた当時の師匠はマスコミを通じ、苦言を呈したほどだった。

「将来のためにもこの場所は休場して、また三役に挑戦すればいい」と周囲からはホープを気遣う声も少なくなかったが、本人に休場の意思は露ほどもなかった。

「ここで大事を取って休場しても、三役に戻れる保証はどこにもない」

 強行出場を果たした初日は奇しくも横綱・朝青龍戦。恐怖よりも「やってやろう」という気持ちが完全に上回っていた。結果はあっけなく押し倒され、この場所は4勝11敗と大きく負け越したが、手負いの身で15日間を取りきり、精神面で大きく成長した場所となった。

 平成22(2010)年7月場所前に発覚した野球賭博騒動に関与したことで謹慎全休し、いったんは十両に陥落。体重が15キロも減り、精神的にも大きく落ち込んだ。土俵に上がれない期間、部屋では若い衆とともに雑用や洗い物に従事しながら過ごし、「自分には相撲しかない」と改めて気づかされた。信頼を回復するには結果を残すしかないと腹を決め、十両で復帰する場所前は「全勝優勝します」と高らかに宣言をし、自らを追い込んだ。

 全勝とはならなかったが、14勝1敗のハイレベルの優勝で翌11月場所は幕内に復帰。ここでも神懸かり的な強さを発揮して14勝をマーク。優勝決定戦では横綱・白鵬に敗れて惜しくも初賜盃はならなかったが、確かな実力ぶりを証明し、その後も三賞と三役の常連であり続けた。

 最大のライバルだった琴奨菊は大関に上り詰め、平成28(2016)年1月場所は初日から勝ちっぱなしと突っ走った。この場所の豊ノ島は前頭7枚目と上位対戦圏外ながら、トップと2差だったことから13日目にふたりの直接対決が組まれた。果たして相手の突進に土俵際まで後退した豊ノ島だったが、逆転のとったりで全勝のライバルに土をつけた。敗れた琴奨菊は横綱・白鵬と1敗で並び、10年ぶりの日本出身力士の優勝を期待する館内からは大きなため息が漏れたが、かつて賜盃をつかみ損ねた豊ノ島も可能性は低かったものの、最後の最後まで初優勝に執念を燃やしていたのだった。

 力士生活晩年には、稽古中に左足のアキレス腱を断裂する重傷を負い、関取の座を明け渡すことになった。すでに32歳となっていたが、幕下に2年も彷徨(さまよ)い続けた末に関取復帰。「もう一度、琴奨菊戦をやりたい」という一心で2年半ぶりに幕内に返り咲いたが、ライバルとの再戦は叶わなかった。

 現役最後の場所は幕下2枚目の令和2(2020)年3月場所。新型コロナウイルス蔓延のため、無観客で行なわれた場所で静かに土俵を去った。

 抜群のうまさとセンスを兼ね備えた相撲ぶりで土俵を彩り、持ち前のひょうきんな性格と弁達者ぶりでバラエティー番組でも活躍した。一方、山あり谷ありの相撲人生は、どんな困難にも決してへこたれない不屈の精神と反骨の気概が通底していた。

【Profile】豊ノ島大樹(とよのしま・だいき)/昭和58(1983)年6月26日生まれ、高知県宿毛市出身/本名:梶原大樹/しこ名履歴:梶原→豊ノ島/所属:時津風部屋/初土俵:平成14(2002)年1月場所/引退場所:令和2 (2020)年7月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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