為末大に聞く日本スポーツ界の構造的問題とは?「小学生までが勝利至上主義に染まってしまう」 (2ページ目)

  • 西村 章●取材・構成 text by Nishimura Akira

【「メダル獲得=競技の発展」は事実ではなかった】

為末氏は、大舞台で感じた葛藤や矛盾を持ち帰る役割もアスリートに求められる時代になったと指摘する photo by Murakami Shogo為末氏は、大舞台で感じた葛藤や矛盾を持ち帰る役割もアスリートに求められる時代になったと指摘する photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る――パリオリンピックでは、選手たちはきっとさまざまな葛藤に直面するでしょう。そこで感じることや経験することも、スポーツが見せてくれるもののひとつでしょうから、それはぜひ伝えてほしいと思います。

為末:オリンピアンの仕事は、オリンピックに至る道とそこでパフォーマンスをすること、そして、そこで感じたものを社会に還元すること。その3つだと思います。3つ目の還元する部分は、以前なら「目標に向かって頑張ることの大切さ」といった比較的普遍性のあるメッセージでしたが、現代では「世界に触れた時、皆がどんな葛藤や矛盾を感じて悩んでいるのか」といったことを持ち帰る役割が加えられているように思います。パリオリンピックは歴史的にも象徴的な大会になるでしょうから、選手たちはそこで経験したものをぜひ還元してほしいと思います。

――選手たちに求められるものとして「ロールモデル」ということばがありますが、為末さんの時代と今の時代では、「ロールモデル」のあり方は変わってきているのでしょうか?

為末:すごく変わったと思います。アスリートとひと口に言ってもさまざまで、真面目な人からスポーツで社会にぎりぎり踏みとどまっているような人まで幅があって、その多種多様さが面白かった。今の選手たちは早い段階から社会に触れてSNSも使いこなしているので、社会に入るという意味ではしっかりした領域の人が増えて、非正統派領域というか(笑)、ぶっ飛んでいる領域の人は明らかに減っています。スレスレの領域をある程度許容したい思いもありますけれども、いずれにせよ今は圧倒的に社会性のある人が多いと思います。

――選手に求められるもの、ということでは、メダル至上主義がずっと批判されてきました。為末さんも現役時代に実感してきたと思いますが、選手たちはメダル至上主義をどう受け止めているのでしょうか。今の選手たちも、過度な期待とプレッシャーに苦しんでいるのですか?

為末:メダル至上主義がどこから生まれるかというと、メダルがオリンピックの象徴になり、メディアもそれを象徴的に扱い、社会もそれを象徴として見ていて、だからこそ、選手はあれが欲しいと思うシステムになっているからだと思います。

 では、それを止めるボタンがどこかにあるのかというと、実はあまりないような気もします。メダル至上主義の悪い面は確かにあるけれども、モチベーションになる面もあるし、勝ち負けがある以上、メダルを取れるかどうかの境目ができてしまうのは仕方がないことかもしれません。

 これは選手の側よりも、メダル以外にスポーツの価値を説明しきれない協会(競技団体)の側に課題がある気がします。昭和の時代は「メダルを取るとその競技が人気になり、補助金も協会に入って競技界全体が潤う」という仕組みでやってきたのですが、近年は我々の世代が少しずつ重要なポジションに就き始めて、メダル数と競技人口や売上増加の間にはあまり相関がないことがわかってきました。つまり、メダルを取るとそのスポーツが発展する、というロジックはもはや通用しないわけです。だから、マインドセットを変えなければいけないし、それがメダル至上主義から変わっていくきっかけにもなるのではないかと思います。

――そのマインドセットは変わりつつあるんですか?

為末:私たち世代は「活躍しても、結局競技人口は増えなかったね」が合言葉になっています。あまり人気にならなかったね、会場にも人が来なかったね、始める人もそんなに増えなかったね、ということを我々世代のメダリストは皆が経験してきました。「......ということは、選手個々人よりも構造の話じゃないの?」という理解なので、45歳前後の元アスリートたちは、構造を変えていかなければならないという認識だと思います。

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