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フォルティウス・近江谷杏菜&小野寺佳歩対談 カーリング界の「名コンビ」はこうして生まれた (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・文 text by Takeda Soichiro

――その次の大会、2014年ソチ五輪では北海道銀行フォルティウス(当時)が日本代表となり、小野寺選手も22歳の若さでオリンピック出場を果たしました。

小野寺 私もどちらかといえば、(オリンピックでは)苦い経験のほうが大きいかもしれません。

――大会直前にインフルエンザにかかって、初戦はリザーブに回ることになりました。

小野寺 大会途中から復帰できましたが、実力を発揮できずチームに迷惑をかけてしまい、悔しい思いをしました。私が出た試合はすべて負けてしまったので、翌年の世界選手権ではどうしても世界の舞台で1勝したかった。その分、そちらの記憶のほうが鮮明です。

――札幌で開催された世界選手権ですね。その前、ソチ五輪が終わったあとには近江谷選手と吉村紗也香選手が新たなメンバーとしてチームに加わりました。その時の心境を聞かせてください。

近江谷 直近の日本代表チームから声をかけていただいたことにうれしさもありつつ、身が引き締まる思いでした。

photo by Fujimaki Gohphoto by Fujimaki Gohこの記事に関連する写真を見る――そこで、"杏菜&佳歩"の名コンビが誕生したわけですね。その際の、お互いの印象はいかがでしたか。

近江谷 ......。

小野寺 えっ!? 無?(苦笑)。

近江谷 もう10年くらい前のことだから(笑)。でも、(小笠原)歩ちゃんや(船山)弓枝ちゃんがいて、一緒にさや(吉村)も入って、みんな地元も同じだから、ワクワクしかなかったですね。

――小野寺選手は近江谷選手に対して、どんな印象でしたか。

小野寺 しっかりしたお姉さん。やっぱりパイセンなんで(笑)。

――そこから、お互いの仲、関係性はすぐに深まっていったのでしょうか。

近江谷 改めて考えてみると、共通点は少ないんですけど、ポジション的には歩ちゃん、さや、(小谷)優奈ちゃんたちのラストロックをずっと運ぶ相棒だったので、自然と(互いの意識や思いが)何でも伝わるようになったのかもしれません。

小野寺 遠征では(ホテルの)部屋が一緒になることも多かったし、会話のテンポだったり、波長が合っていましたね。あとは、どんな話題でも笑ってくれる。

近江谷 それはあるかも(笑)。基本的にはどうでもいいことを私たちだけで深堀していって、永遠に笑っていられる。

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