フォルティウス・近江谷杏菜&小野寺佳歩対談 カーリング界の「名コンビ」はこうして生まれた

  • 竹田聡一郎●取材・文 text by Takeda Soichiro

フォルティウス「スペシャル対談」
近江谷杏菜&小野寺佳歩(1)

カーリング日本選手権(1月28日~2月4日/北海道札幌市・どうぎんカーリングスタジアム)がまもなく開幕する。3連覇を目指すロコ・ソラーレをはじめ、前回準優勝のSC軽井沢クラブ、さらには中部電力、北海道銀行など、今年も現在の日本カーリング界を代表する実力チームが集結。ここ数年同様、ハイレベルかつ、熾烈な争いが繰り広げられそうだ。そんななか、2021年大会(当時北海道銀行フォルティウス)以来、3年ぶり3度目の頂点を狙うのは、フォルティウス。今回、同チームの中心選手である近江谷杏菜と小野寺佳歩を直撃し、まずはそれぞれのカーリング人生について振り返ってもらった――。

フォルティウスの近江谷杏菜(左)と小野寺佳歩(右)。photo by Fujimaki Gohフォルティウスの近江谷杏菜(左)と小野寺佳歩(右)。photo by Fujimaki Gohこの記事に関連する写真を見る――カーリング界でも指折りの名コンビであるおふたりですが、(北海道北見市)常呂町で育ったジュニア時代から仲がよかったのでしょうか。

小野寺佳歩(以下、小野寺)当時『grace』というチームでプレーしていた(近江谷)杏菜ちゃんのことは知っていましたし、うちの兄が杏菜ちゃんと同級生なんですよ。

近江谷杏菜(以下、近江谷)逆に、うちの弟と佳歩が同級生で。でも、小学校は違ったので、当時は話をしたことなんて......?

小野寺 ほとんどないですね。「こんにちは」って挨拶するくらい。

近江谷(当時は小野寺と)同じ大会に出た記憶もあまりないですね。

――その後、近江谷選手は10代で常呂町から青森県に活動拠点を移して、チーム青森のメンバーに。日本代表として2010年バンクーバー五輪に出場しています。20歳でのオリンピック出場は、日本の女子カーリング選手ではいまだ最年少記録です。

近江谷 そう言われてみると、そうなんですね。ただ、当時は右も左もわからないというか......。日本代表の私たちですら、世界における自分たちの立ち位置というものはわかっていなかったと思います。

――そうした状況のなかでも、記憶に残っていることはありますか。

近江谷 カナダでの大会ではありましたが、今考えると世界選手権やグランドスラムとはまた違う、特別な雰囲気でした。選手が投げる瞬間に螺貝を吹いているオジさんとか、カーリングファンというより、いわゆるオリンピックファンの方もたくさんいて、それには少し驚きました。

 もちろん、それを楽しむ気持ちもあったのですが、(プレー中は)萎縮してしまった部分もあり、当時はあの雰囲気のなかで戦える自分ではなかったと思います。

――結果は3勝6敗、8位という成績でした。

近江谷 イギリスに勝てたり、カナダと接戦を演じられたりと、なかには"世界"に食い込んでいけるような試合もあったのですが、自分たちの実力を信じきれなかった。少なくとも私は「チームに貢献できました!」と胸を張って言えませんし、オリンピックの舞台でプレーしたという実感や手応えは、正直残らなかったかもしれません。

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