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秋場所で話題の力士2人を錣山親方が解析。どんなところに魅力を感じているのか (3ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 振り返ってみれば、私の新入幕(1985年春場所)の時もそんな感じでした。前場所、十両7枚目で12勝したものの、新入幕など到底無理だと思っていました。

 ところが、思いがけないことに新入幕が決定。その場所は相撲を取るのが楽しくて、楽しくて(笑)。緊張感などなく、毎日精一杯相撲をとっていました。

 おそらく、今場所の平戸海も同じような感じではないでしょうか。日々楽しくてしょうがないので、迷いなく相撲がとれる。それが、白星につながっているのでしょう。

 改めて自らのことを思い返してみると、私の長い力士人生のなかで、緊張することなく相撲が取れたのは、新入幕の場所と、引退した場所(2002年秋場所)の後半戦だけだった気がします。現役最後となった場所は、「勝っても負けても、(番付が幕下に)落ちても、精一杯やろう!」と決めて土俵に上がっていたので、逆に緊張感がなかったのでしょう。

 同様に、今場所の平戸海の相撲からも"精一杯"の気持ちが伝わってくるんですよね。

 初日に幕内初白星を挙げた時には、初めての懸賞金も受けとっていました。インタビューでは「懸賞金を師匠とおかみさんにプレゼントしたい」言っていましたが、その言葉に師匠がどれだけ喜んだことか......。

 私が初めて懸賞金を受けとった時はどうしたのか? 師匠(井筒親方=元関脇・鶴ヶ嶺)にプレゼントはしませんでしたね(苦笑)。

 というのも、師匠は実の父親で、子どもの頃からとても恐い存在でしたから。自分から近寄ることが憚られるというか、「懸賞金、いただきました!」などと、気軽に話をできるような関係ではなかったのです。

 ですが、私が錣山部屋を興してから育てた幕内力士(豊真将、青狼、阿炎)は皆、初めての懸賞金を私に渡してくれました。中身は使ってしまいましたが(笑)、懸賞金の袋は私の生涯の宝物です。

錣山(しころやま)親方
元関脇・寺尾。1963年2月2日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は得意の突っ張りなどで活躍。相撲界屈指の甘いマスクと引き締まった筋肉質の体つきで、女性ファンからの人気も高かった。2002年9月場所限りで引退。引退後は年寄・錣山を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て、2004年1月に錣山部屋を創設した。現在は後進の育成に日々力を注いでいる。

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