新濱立也、北京五輪後は「やめたい、逃げたいという自分がいた」。どん底から救ったのは周囲の温かさ (2ページ目)
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幻となった1回目の好スタート
本人は、終わったことなので正直どうしようもないとケリをつけているようだが、新濱の1回目のスタートはバッチリ決まっていた。号砲に吸い込まれるように飛び出し、力みなど欠片もないすばらしいスタートだった。しかし、同走の選手にスターター補助員の旗が上がり、やり直しになった。2回目のスタートは、どちらがフライングしても失格だ。惰性で50mほど進んだ新濱は、かかとを返しスタートライン後方へと戻る10数秒の間に何を思ったのか。
「2回目、もう失格覚悟でいくしかないと思っていました。自分は銀メダルや銅メダルを獲りたいという思いで4年間やってきたわけではなかった。金メダル、そこのみだって正直思っていたのでチャレンジしたい思いが強かったです。2回目は、本来だったらセーフティに出るのがセオリーではあると思うんですけど、守りに入ったら34秒32には勝てないと、あの一瞬で思ってしまった」
新濱は4年間、金メダル、頂点を獲るためだけに、チャレンジし続けてきた。決めたら自分は獲れると公言もしてきた。それだけ金メダルへの思いは強かっただけに、冷静に攻めて勝つという新濱の真骨頂が揺らいだ。
「2回目は、崖っぷちです。その状況でスタートラインに立つのは、気持ち的に焦りもありますし、過去に舞い上がって冷静さを欠く経験もしていました。冷静かつ狙いにいかないといけないと、あの一瞬で考えてはいたんです。ただ、つまずいた。スタートして、なんでこんなに右足が刺さるんだろうという思いで滑っていました。気持ちが入りすぎたのか、冷静さに欠けたのかは、鮮明に覚えてるわけじゃないんですけど......」
不測の事態に答えを出せないまま、レースは進んだ。ひどくつまずいた最初の3歩の代償は大きく、100mの通過でトップから0秒7遅れた。ただ、そのあとの400mのラップタイムは、上位入賞選手と互角だった。出遅れた分、最初のコーナーに入る時のスピードは上がりきってはいないなかで、である。
「(レース後半にかけて)インレーンから出たカナダの選手がグングン近づいてくる感覚がありました。もしかしたら差せると思いながら全力を出しきりました。あの時、体の調子はよかったし、最後まで諦めずに滑れて楽しかった部分もあります。チャレンジした結果がミスにつながったけれど、自分が選んだ道ではあったし、悔いなく北京五輪を終えたのかなと思っています」
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