白鵬が朝青龍の突然の引退にショック。ひとり横綱として心に決めたこと (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki
  • photo by Kyodo News

 横綱昇進の伝達式の前日、私は尊敬する大鵬さんのもとを訪ねました。「白鵬」の四股名の由来となった憧れの大鵬さん。おこがましいとは知りつつ、横綱としての心構えをうかがいたいと思ったのです。

「横綱は宿命だから、しっかりやってほしい」
「勝てなければ、引退しかない」

 大鵬さんのこの言葉は、本当に重かったですね。

「横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」

 翌日の伝達式での私の口上です。

角界屈指の「大横綱」となった白鵬(右)。左は炎鵬角界屈指の「大横綱」となった白鵬(右)。左は炎鵬この記事に関連する写真を見る 新横綱として臨んだ、翌名古屋場所がなんとか終わって、夏巡業が始まろうとしていました。朝青龍関はヒザの治療のため、夏巡業を休場すると発表。しかしその後、別の行動を取っていたことが判明し、2場所出場停止の処分が下されます。

 私は横綱2場所目からひとり横綱となってしまいました。目標だった朝青龍関に追いついた。2人で「青白時代」を盛り上げていきたいと思っていたのですが、その後、朝青龍関は負傷休場が多くなり、2010年初場所後、突如、引退されました。

 一報を聞いた時は、ショック過ぎて、心にポカーンと穴が空いてしまったような感じでしたね。本当にひとりきりになってしまった。横綱として、これから私はどのような戦いを続ければいいのだろうか――。

 答えは、「勝つ」ことです。

 翌春場所は、全勝優勝。夏場所、名古屋場所(7月場所)も全勝で、初場所14日目からの連勝記録は、47連勝。尊敬する大鵬関の45連勝に追いつき、追い越したことで、私はますます「記録」に対して、貪欲になっていきました。

(つづく)

白鵬 翔(はくほう・しょう)
第69代横綱。1985年3月11日生まれ。モンゴル出身。幕内優勝45回を誇る大横綱。2019年、日本国籍を取得。2021年9月、現役引退を発表、年寄・間垣襲名。

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