叔父・朝青龍に叱られるのを覚悟で豊昇龍がレスリングから相撲の道へ変更したわけ (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki

「これは相撲をやるしかない!」

 僕の意志は、180度変わりました。そうして、叔父さんに連絡をしたんです。マジで、言いづらかったですけどね......。

 そしたら、「だから、最初に『相撲、やらないのか?』って、聞いたじゃないか。だいたい、おまえに相撲が取れるのか?」と、怒られましたよ(苦笑)。

 でも、きっぱり言ったんです。

「テッペン目指して、がんばります!」って。

 その言葉で納得してくれたかどうかはわからないですけど、叔父さんが学校の偉い人たちに話をつけてくれて、レスリング部から相撲部に転部することができました。結果的に、僕のワガママを通してもらった形になり、叔父さんには頭が上がりません。

 7月からは相撲部での稽古が始まりました。だけど、転部した時、僕は体重が66㎏しかなかったんです。そこからはとにかく、体重を増やすことに専念しましたね。

 最初に出たインターハイ(高校2年時)では、ベスト16で負けたけど、体重が100kgぐらいになった3年生の時のインターハイでは2位。メダルをもらうことができたんです。

 毎日が相撲漬けでしたからねぇ......。授業中は、先生から「寝るな!!」って、すごく怒られてましたよ(苦笑)。バレないように寝ていると思っていたのにね。

 日本に来たばかりの頃は、ほとんど理解できなかった日本語ですが、慣れるまでにはそんなに時間はかからなかったです。っていうか、日本語は他の外国語より、覚えやすい言語だと思いましたよ。

 授業中に寝ていたのは、日本での授業内容が、すでにモンゴルで習っていたものと、ほとんど同じだったからなんです。数学とか、テストはわりと「余裕」って感じでした。あ、ウソウソ......(笑)。話半分で聞いてください。

 高校卒業後は立浪部屋に入門することが決まり、新弟子検査を受けたのは2017年11月のことです。結果は合格でしたが、僕はモンゴル人なので、興行ビザの取得を待たなければならなかった。晴れて、初土俵を踏んだのは、翌2018年の初場所(1月場所)です。

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