メダルダッシュで「アリガトウ」? 世界各国は東京五輪をこう見ていた
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イタリアにとって「我らの人生最高の五輪」だった
パオロ・フォルコリン(イタリア):記者
今から30年近く前、イタリアでは『我らの人生最高の日々』という曲が大ヒットした。今、イタリアではそれをもじって「我らの人生最高の五輪」と言われている。東京五輪でイタリアはこれまでの記録36を大きく上回る、40のメダルを手に入れたからだ(金10、銀10、銅20)。
正直に言うと、大会前、イタリアの成功を予想したのはとんでもない楽観主義者だけだった。そのうちのひとりはCONI(イタリア五輪委員会)の会長ジョヴァンニ・マラゴーだ。彼は東京で戦う選手たちのポテンシャルの高さを何度も説いていたが、多くの者はそれをただの絵空事だと思っていた。
しかし、大会が始まると、五輪の熱は北から南までイタリア中を巻き込んでいった。それはつい1カ月前に、サッカーイタリア代表がユーロ2020で優勝した時と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上の熱狂だったかもしれない。
これは本当にすごいことである。実のところ、イタリアでは五輪はそれほど人気のある大会ではない。サッカーのW杯などに比べたら、注目度はかなり劣る。イタリアがこれほど五輪で盛り上がったことは、これまで見たことがなかった。
その現象は新聞の紙面に如実に表れている。私が記者をしているスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では、開幕当初、数ページのみが五輪の記事に当てられ、あとはサッカーの夏の移籍情報などが大半だった。それが日を追うごとに五輪の記事がページ数を増やしていき、一面の大半を占めるようになっていった。
陸上男子100メートルで優勝し、歓喜のマルチェル・ヤコブス(イタリア)この記事に関連する写真を見る その熱狂が最高潮に達したのはやはり陸上男子100メートル決勝だろう。マルチェル・ヤコブスが9.80秒でこの花形競技を制し、金メダルを首にかけた時、イタリア人の多くが信じられない思いだった。その少し前に男子走り高跳びで金メダルを獲っていたジンボ(ジャンマルコ)・タンベリとのハグのシーンは、何度も何度も繰り返し放送され、そのたびにイタリア人の胸を熱くした。
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