「これ勝ったんですよね」。見延和靖の「リオ五輪の悔しさ」から描いた未来像が日本フェンシング初の金となり実現した

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Getty Images

 これまで日本フェンシングで五輪のメダルを獲得しているのは、2008年の北京五輪で太田雄貴が獲得した男子フルーレの銀メダルと、2012年ロンドン五輪で男子フルーレ団体が獲った銀メダル。今大会、その結果を上回る金メダルを獲得したのが、男子エペ団体だった。

金メダル獲得が決まり、選手たちは抱き合い喜びを爆発させた金メダル獲得が決まり、選手たちは抱き合い喜びを爆発させた エペ団体のルールは、1チーム3名(プラス交代選手1名)による総当たり戦。1試合3分×9対戦で、45点先取したチーム、もしくは試合終了時に得点を多く獲得していたほうが勝者となる。

 勝利の後に日の丸を大きく掲げたチーム最年長34歳の見延和靖(ネクサス)は、「エペはフェンシングの中でも(世界的に)競技人口が多く、選手層が一番厚い種目。そこで日本チームが勝つということは、世界に相当なインパクトを与えたと思う。日本人でもやれるんだという意味で、日の丸を高く掲げました」と誇らしげに話す。

 これまでは日本でフェンシングと言えばフルーレ。そういった状況で、日本男子エペを牽引してきたのは見延だ。リオデジャネイロ五輪の個人戦で6位、18~19年には世界ランキング1位にもなった。今大会の個人戦は10位ながら、団体戦1回戦のアメリカ戦で2回、戦った後に交代し、そのあとはベンチで後輩たちの戦いを見守った。しかし、その表情に曇りはなかった。

「前回のリオは、僕が個人戦に出場しただけだったので、すごく悔しい思いをしました。あの時に『東京五輪では絶対に団体戦で出るんだ。そして、そこで絶対にメダルを獲る』と強く思い、そんな未来像を描いていました。信じて戦うことで、後輩たちも同じ未来を想像するようになった。それが今、実現したのは信じられない部分もありますが、本当にこのチームでやってきてよかったなと思いました。僕自身もベンチで一緒に戦っていたので喜びは大きいです」

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