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「これ勝ったんですよね」。見延和靖の「リオ五輪の悔しさ」から描いた未来像が日本フェンシング初の金となり実現した (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Getty Images

 準々決勝は、世界ランキング1位から4位のヨーロッパ勢がすべて敗退し、5位の韓国と6位の中国、7位のROC(ロシアオリンピック委員会)と日本が勝ち残る、予想外の状況になった。

 それも選手たちが、のびのびと戦える要因になったひとつだろう。準決勝の韓国戦では、2番手の加納と、3番手の山田が相手に1ポイントも与えず、4ポイント、5ポイントを獲得。4試合目までに11対1と大量リードをして勝利をほぼ手にする展開になった。終盤に少し追い上げられたものの、最後は余裕をもって45対38で勝利した。

 そして決勝のROC戦。最初の山田が個人戦2位のセルゲイ・ビダを5対4でリードしてスタート。ディフェンス気味のスタイルの相手選手たちに対し、日本勢は積極的に突きを入れてポイントを獲得すると、5人目の宇山で5点差にした。そして最後の加納は山田から37対33で受け継ぐと、「ビダにはこれまで個人戦で3回戦って、3回とも負けていましたが、競っていたので『次は勝てる』といつも思っていたし、苦手意識もなかった」と、落ち着いた戦いで8ポイントを先取し、45対36で優勝を決めた。

 その瞬間ピストの上で抱き合い、輪になって喜びを爆発させた選手たち。見延は「あの時は加納が『これ勝ったんですよね。五輪ですよ』と言ってきたから、『わからない』って僕も言って......。『たぶんそうだと思うけど、実感がわかないな。でもうれしいな。やったな』と話していました」と笑う。

 国際フェンシング連盟副会長の太田氏は、「フルーレやサーブルのように、攻撃権を持っていないとポイントにならないというルールの難しさもなく、全身のどこを突いてもポイントになるエペはシンプルでわかりやすい種目。(日本において)フェンシングの普及という面でも、これ以上はない結果です」と興奮気味に話す。

 北京五輪の銀メダル獲得から始まった外国人コーチを招聘した強化の成果をしっかりと自国開催の東京大会でも証明した。

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