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男女平等を掲げる東京五輪。女性のスポーツ参加と多様性について考える (2ページ目)

  • 長田渚左●文 text by Osada Nagisa
  • photo by Reuters/AFLO

 イスラーム世界は男の世界と女の世界を分けることが当然の文化で、それは差別ではない、どちらが上というのではなくて並存であるというのが、今日の研究の示すところです。

 ある研究者は、イランの女性はヴェールによって『見られる自分』から解放されて『見る自分』というアイデンティティを獲得し、男性と同じように世界を見ることができるのだと言います。西洋化した国々の女性は、服装や化粧や、肌を見せたり、見せなかったりすることで、他人にどう思われるかを、程度の差こそあれ誰でも考えざるを得ない。つまり『見られる自分』を強いられてきたのに対して、イランの女性たちは見られる窮屈さから十分解放されている。身体を隠すことによって男性と対等に仕事ができるというのです。(後略)」(『スポーツゴジラ』21号『イスラーム女性とスポーツ』より)

 確かにヴェールの着用ひとつとっても、西洋化をよしとしてきた私たちとは、180度感覚が違っているようだ。まさに多様性であり、様々な考え方があることは発見だ。そして「多様性を認める」のは口で言うほど簡単なことではないのかもしれないとも思う。

 しかし、何事も一筋縄でいかないからこそ世界は広く興味深い。知らない文化、知らない価値観を持つ人々が一堂に会する。......まさにそれがオリンピックなのだろう。

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