中部電力・松村千秋が涙。目前の五輪出場を逃した瞬間の悲痛な思い (5ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

――少し嫌な質問かもしれませんが、2013年に行なわれたソチ五輪の国内トライアル(中部電力、北海道銀行、ロコ・ソラーレ、札幌国際大学の4チームによる代表決定戦)、そして2017年に行なわれた平昌五輪の国内トライアル(ロコ・ソラーレと中部電力による代表決定戦)と、両方に出場し、いずれも悔しい思いをしているのは、松村選手と清水マネジャーだけ。それぞれのトライアルについて、振り返っていただけますか。

「ソチ五輪のトライアルについては、私がチームに入って試合に出るようになって間もないこともあって、自分のプレーのことだけで精一杯でした。もちろん、負けてしまったことは悔しかったですけど、『もっとうまくなれる』という気持ちもあり、どこか不完全燃焼でした。

 そういう意味では、平昌五輪のトライアルのほうが、気持ち的にはしんどかったです。多くの人が(北見市)常呂まで応援に来てくれていたので、負けてしまったあとに、その応援席に挨拶に行ったのですが、もうその時点で泣いていましたから。ロッカールームに戻って、また泣いて......」

――平昌五輪のトライアルは、2017年9月に行なわれました。次の五輪のことを考えるとなると、4年後になります。そこで、心が折れるようなことはなかったですか。

「心の持ちようは、本当に難しかったですね。シーズンが始まったばかりで、五輪に出られないことが決まって......。次の五輪となると、4年どころか、5年近く先の話ですから......。けれど、そのためには、もちろん強化していかなくてはいけないし、サポートしてくれる会社のためにも『がんばろう』という気持ちはありました。年が明けて2月には、日本選手権もありますしね。

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