2019.11.03

旭天鵬が母国で批判も帰化申請。
モンゴル人初の部屋付き親方になった

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第4回:友綱親方(3)

 旭天鵬は1992年、初の「モンゴル人力士」として、旭鷲山ら6人で日本にやって来たうちのひとりだ。旭鷲山と出世を争うように番付を上げ、1998年初場所(1月場所)で新入幕。以来、横綱・朝青龍、白鵬、鶴竜ら、モンゴル人力士の先駆者として存在感を示してきた。2012年夏場所(5月場所)では、37歳にして涙の初優勝を成し遂げた。

 2015年名古屋場所(7月場所)、40歳10カ月で引退。その後、年寄・大島を襲名した。2017年に友綱部屋を継承し、現在は審判委員を務める一方、11人の力士たちの育成に力を注いでいる。 

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 旭鷲山の入幕をきっかけに、モンゴル国内で”相撲ブーム”が巻き起こりました。旭鷲山を追うように2000年には僕も幕内に定着するようになり、細身の旭天山(旭嵐山から改名)も幕下で奮闘していました。

 こうして、日本の力士の姿や土俵の様子がモンゴル人全般に知られるようになったことで、「いつか日本に行って力士になりたい」という少年が急増しました。

 日本の明徳義塾高校に相撲留学して、大相撲の世界に入った朝青龍、朝赤龍。大阪の企業の相撲部での合宿を経て、入門した白鵬。さらに、モンゴル国内での選考会でスカウトされた日馬富士など、入門した経緯はさまざまですが、全員に言えるのは「力士になって成功したい」という強い思いがあったことです。

 相撲センス、闘志が突出していた朝青龍は2003年、モンゴル人初の横綱に昇進しました。その後、69代・白鵬、70代・日馬富士、71代・鶴竜とモンゴル人横綱が続きましたが、つくづく優秀な後輩たちだと感心しています。

 2003年は僕にとって、大関取りのチャンスの年でもありました。春場所(3月場所)、夏場所で連続して敢闘賞を取って、名古屋場所で関脇に昇進を果たしたのです。でも、残念ながら同場所で負け越してしまい、大関取りは振り出しに戻ってしまいました。

 秋場所(9月場所)で再び敢闘賞を受賞しましたが、大関昇進の基準は、3場所の通算勝ち星が33勝ですから、半年の間、好調を維持しなければなりません。それが、なかなかクリアできませんでしたね。