2019.10.20

旭天鵬には謎だった日本で角界入り
「サムライや忍者がいると思った」

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 民主化されて2年弱。それまでも、その頃も、モンゴルに「日本」の情報はほとんど入ってきていませんでした。ましてや「力士」とは何者なのか? 理解できるのは、ほんのひと握りの人だったと思います。

 ところがある日、父親が「おまえ、相撲の力士に応募してみたらどうだい?」と言ってきたんです。

 僕は正直、「イヤだなぁ~」と思ったけれど、父親の意見には逆らえない。当時のモンゴルは、お父さんの力がとても強かったんです。

 力士志望者は、ウランバートルでの相撲大会で、優秀な成績を収めた者から選ばれるということでした。僕は「どっちにせよ、自分が選ばれることはないだろう」と思っていたので(笑)、しぶしぶ大会に参加したんです。

 亡き父が僕に力士への道を勧めたのは、息子にこれからの生き方を教えたかったからじゃないかと、今は思います。

 父親は、社会主義の中で生きてきた人間。これからは世の中がどんどん変化して、職業の選択肢も増えてくる。相撲へのチャレンジが生き方を考えるひとつのキッカケになれば……と考えていたのでしょう。

 最初の相撲大会には、100人以上の少年が集まりました。その後、翌年2月にもう一度招集がかかって会場に行くと、80人くらいの少年が集まっていて、その中から優秀な成績を収めた少年6人が、日本に行くということでした。

 大会で準優勝したのは、旭鷲山。僕は、優勝した旭鷹に1回戦で負けたのですが、どういうわけか「もう一度、相撲を取ってみなさい」とチャンスをもらい、旭嵐山(のち旭天山)に勝ち、日本行きの6人に選ばれたのです。

 当時から闘志むき出しで、やる気満々の旭鷲山は、念願の日本行きにはしゃいでいましたが、相撲に興味のない僕は複雑な気持ちでした。そして、その1週間後にはモンゴルから日本に旅立ったのです。

角界入りした経緯について語る友綱親方 新幹線に乗って大島部屋の大阪宿舎に着き、相撲の稽古が始まりました。素っ裸になって、まるでホースのような黒いまわしを初めて付けました。ガサガサしていて、足の付け根の部分が擦り切れてしまいそうで、付け心地は最悪でしたよ(笑)。まわしを巻いて、四股、テッポウなどの相撲の基礎を教わりました。