旭天鵬には謎だった日本で角界入り「サムライや忍者がいると思った」
向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第4回:友綱親方(1)
旭天鵬は1992年、初の「モンゴル人力士」として、旭鷲山ら6人で日本にやって来たうちのひとりだ。旭鷲山と出世を争うように番付を上げ、1998年初場所(1月場所)で新入幕。以来、横綱・朝青龍、白鵬、鶴竜ら、モンゴル人力士の先駆者として存在感を示してきた。2012年夏場所(5月場所)では、37歳にして涙の初優勝を成し遂げた。
2015年名古屋場所(7月場所)、40歳10カ月で引退。その後、年寄・大島を襲名した。2017年に友綱部屋を継承し、現在は審判委員を務める一方、11人の力士たちの育成に力を注いでいる――。
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1992年2月22日。
僕を含めた6人のモンゴル人少年が、力士になるために、東京の大島部屋にやってきた日です。
2月と言えば、東京では一番寒い時期ですよね。この時、たぶん気温は5度くらいだったと思うんですが、モンゴルからやって来た僕たちには、蒸し暑く感じました。僕らが「暑い! 暑い!」と、着ていた服を脱ぎ出して上半身裸になったものだから、大島親方(元大関・旭國)や、おかみさんが驚いていたのを思い出します。
実は、モンゴルにいた頃の日本のイメージは、あまりいいものじゃなかったんですよ。
「資本主義国で、科学技術が発達していて、空気や水が汚い」。あと、「サムライとか、忍者がいる」と思っていたくらいです(笑)。
この頃、モンゴルは民主主義体制になったばかりで、情報が錯綜していて、本当の日本がどんな感じか伝わっていなかったんですね。
実際に日本にやって来て、自分の目で見た東京は、高層ビルがたくさん建っていて、都会的で清潔。夜になっても街は明るく、お店も深夜まで営業していて便利だな、と思いました。
そして、春場所(3月場所)が開催される大阪まで移動するときに、初めて新幹線に乗りました。それがまたカッコいい! 来日2、3日で「日本ってスゴイなぁ!」と、あっけに取られてしまいました。
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