稀勢の里と貴乃花。2人の奇跡に通じる「ファンへの想いと土俵の鬼」 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 共通して流れているのは「土俵の鬼」の魂だ。稀勢の里が入門から薫陶を受けてきたのは、先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)。その鳴戸親方の師匠は、貴乃花のおじにあたる、初代若乃花の二子山親方だった。1956年の秋場所前に、大関だった若ノ花(当時のしこ名)は、ちゃんこ鍋をひっくり返してしまった長男を火傷で亡くしていた。精神的に苦境に陥りながらも、若ノ花は出場を決断。数珠をさげて場所入りし、鬼気迫る相撲で12連勝を果たした。

 13日目に高熱を患い、最後の3日間は土俵に上がることはできなかったが、常人では計り知れない状況でも土俵を務めた責任感。この魂を、貴乃花親方は父の貴ノ花から、そして稀勢の里は隆の里から継承したのだ。

 稀勢の里は、平幕時代の2008年秋場所の前に腸の病気にかかって休場の危機に立たされたことがあった。この時、先代師匠が稀勢の里にかけた言葉は、「出なさい」だった。入院先の病院から場所入りする毎日だったが、5日目には白鵬から金星を獲得した。当時、先代師匠はこう話していた。

「力士たるもの、多少のことで休んではいけないんですよ。できる限りのことをやって、それでもダメなら仕方がないかもしれない。でも、少しでも出られる状態なら出なければいけないんです。お客さんが待っているんですから」

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